ただし、日本仏教の主要宗派の数え方にも、様々な見解があることは、既に【日本の仏教は八宗?十宗?十二宗?十三宗?】などで確認したところだが、本書では10宗派の葬儀法が書いていた。明治時代、12宗派とも13宗派とも数えられたことからすれば、少し少ない気がするのだが、その理由が興味深かったので、見ておきたい。
一、日本の仏教、現に十三宗を数ふ、華厳宗、天台宗、真言宗、法相宗、律宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、真宗、日蓮宗、融通念仏宗、時宗、即ち是なり。中につき、華厳、法相の二宗は、古来、無常を取扱はず、偶々、信徒中に不幸あれば、弔問して、心経及び唯識三十頌を読誦することあるも、定まれる法式なく、律宗は、本山唐招提寺よりの回答に、「世人に示すべき正式なく、目下、古式調査中」とあり。乃ち、今はその他の十宗の、法式及び読誦する経文偈頌等を輯めたり。
『諸宗葬礼次第』序・2~3頁
以上の通り、本書の編者である山崎氏は、13宗派があることを認めてはいるのだが、調査等の結果、10宗派分しか資料等が集まらなかったようで、結果、それらを掲載している。個人的には、一応、日本仏教のことを研究しているものの、中々その情報を見聞することが少ない融通念仏宗や黄檗宗の資料が入っていることを、素直に喜んだ。
それから、上記一節で気になるのは、やはり、華厳宗と法相宗の回答であろう。「古来、無常を取扱はず」としている。この意味はどういうことであろうか?この場合の「無常」とは、葬儀のことである。実際、華厳宗と言えば東大寺、法相宗と言えば薬師寺・興福寺などが本山として名高いが、元々、これらの宗派では、国家や天皇の玉体護持を願う宗派であるため、極度に「穢れ」を避けており、結果として、葬儀を執り行わなかったとされている。
或る意味、そういうことは、それ以外の宗派や僧侶の役割分担がなされていたということになるだろう。
それから、律宗の回答も興味深い。これは、葬儀法自体が無かったという意味では無く、当時の宗派として定めた方法が無いので、「古式調査中」ということになるのだろう。でも、本書が扱うのは、在家の檀信徒向けの葬儀法になるので、律宗がそういう作法を持っていたのかどうか、非常に微妙なところではないか、と思う。
この辺はどういう文献を参照するかにも依るところだが、『仏説目連問戒律中五百軽重事』では、在家信徒向けの葬儀を否定していることで知られている(後日、詳しく採り上げる機会を得たい)。ただし、本書自体の位置付けが微妙でもあるため、ここで挙げられている葬儀否定が、どういった考えや、律に基づくのか、今一つ分かり難い。参考までに、江戸時代の真言律宗・諦忍妙竜律師などは、同書の文脈を挙げつつ、大乗の立場から批判するといった態度を示している(『律苑行事問弁』巻5)。
日本の近代仏教では、新仏教運動などで、在家の檀信徒向け葬儀が批判されたりしている一方で、以上のように改めてその内容を確認する場合も見られ、この辺は現代とそう変わらないと感じた次第である。
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