大科第七 問遮(続き)
三には、母を殺さざるや否や。
答えて曰く、否なり。
私に曰く、母は是れ犯位と為して有名と云ふ。老子の曰く、有名は万物の母たり。註に曰く、万物の母と云は、天地、気を合して万物を生じ、長大成就すること、母の子を養ふが如きなり。曠劫難得の人身を受ること、母の縁に因まずんばあるべからず。設ひ生の後、五世十世の肉身を害せらると雖も、豈に受生の恩を報ふべけんや。若し一念も殺害の念を作し、及び悪口を以て嘖瞋し、及び手を下して殺害せんをや。
『続浄土宗全書』巻15・77頁、訓読は原典に従いつつ当方
前回の続きで、「七定業(七逆罪)」の3番目である。今度は「殺母」である。基本は当然、「否」とならなくてはならない。
そして、前回の記事同様に、「私に曰く」以下が問題となるのだが、父親の時の「玄位」と同じく、母親の「犯位」もまた意味が分からない。
ということで、後は分かりやすい。まず、「万物の母」は『老子道徳経』「第一章」からの引用である。しかし、一般的には「有は万物の母と名づく」と読まれるところ、当テキストでは上記の通り読まれている。それから、「註に曰く」の部分は、調べた限りではあるが、了尊『悉曇輪略図抄』巻8「一 三才事」項に全く同じ文章が見られる。同書は、著者の序から弘安10年(1287)成立と推定されるため、当然に法然上人よりは後の時代となる。もちろん、両書に共通の更なる典拠があるかもしれないが、今のところ良く分からない。
なお、「設ひ生の後、五世十世の肉身を害せらる」の意味も良く分からないが、どうも孔子『論語』に五世や十世の話が出ているようなので、その辺だろうか?末尾の身口意の三業で、殺母をしてはならないというのは、父親の時と同じ文脈なので、再論はしない。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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