・毎年11月11日は「くつしたの日」(日本靴下協会)
上記の通り、日本靴下協会が1993年に制定した(今年で30周年か)もので、靴下を2足並べた時の形が11 11に見えることに由来するという。それで、くつしたと聞けば、我々禅門の坊主にも、一言言いたいことがある。それは、我々がくつしたを履いてきた歴史は長いからである。
なお、現在、我々が用いる「くつした」については、「襪子」と「足袋」といわれるものがある。違いは、足先の形であり、とりあえずネット上から画像を見付けてきた。
・襪子と足袋(グーグル画像検索)
以上の検索結果などをご参照いただければ良いと思う。なお、「襪子」は足先が割れておらず、足袋は親指部分が別になっていることが違いである。ただし、これらはとても良く似たようなものではあるが、歴史的には存在してからの長さが違うようだ。襪子については以下のような記録が知られている。
寒雪の国は、襪を須う。
南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻下一「二衣總別篇第十七」
このように、寒い国では「襪」を使っても良いということとなっている。なお、「襪(または「韈」)」という字自体が、くつしたを意味する。そして、上記は『四分律』の註釈ではあるが、元の『四分律』では、いわゆる袈裟以外の衣物に「襪」は配置され、本来的に比丘が持ってはならないものだとされている。これは、インドと中国の風土的差異があると見るべきだろう。
つまり、中国では「襪」を用いることが一般的となった。そのため、以下のような規則まで存在している。
十四、師の衣裳・巾・襪の垢膩を見れば、師に白して洗濯して浄からしめよ。
南山道宣『教誡新学比丘行護律儀』「事師法第三」
これは、「事師法」とあるが、「師に仕えるときの方法」を定めた一節であり、その中で、師匠の「襪」が汚れていれば、師に申し出て、洗濯して差し上げるように促しているのである。
上堂に挙す、黄昏に襪を脱いで打睡す。
『虚堂和尚語録』巻一
こちらは中国の臨済宗・虚堂智愚禅師(1185~1269)の語録であるが、黄昏に靴下を脱いで眠るという表現が見える。それで、道元禅師が「韈」の着け方について習った様子も知られている。
堂頭和尚夜話に云く、元子、你、椅子に在りて韈子を著くるの法を知るや、也た無や。
道元、揖して白して云く、如何が知り得ん。
堂頭和尚、慈誨して云く、僧堂坐禅の時、椅子に在りて韈を著くるの時、右袖を以て足趺を掩いて、而も著くるなり。所以は、聖僧への無礼を免れるためなり。
『宝慶記』第21問答
天童如浄禅師が、椅子(僧堂に於ける堂頭単)に坐ったままで、襪子を着ける方法を知っているか?と道元禅師に尋ねられた。それまで知らなかった道元禅師は、教えて欲しいと願ったところ、如浄禅師は、右の袖でもって足元を覆って、襪子を履くべきだと示された。理由は、足元が見えてしまうと、僧堂の中央に置かれている聖僧への無礼になるからだという。
このように、禅僧は普通に襪子を用いていた様子が理解出来よう。
それでは、「足袋」はどうしたのか?ということなのだが、実は足袋は日本で成立したとされ、しかも、余り仏教に関係ないともされる。そもそも、「足袋」は今時用いられる「雪駄」を履くときに便利ではあるが、鎌倉時代の文献には「雪駄」は出て来ない。「草鞋」とは出るが、これも親指を通して履く、いわゆる「わらじ」であるかどうかが分からないのである。
よって、現代でも使われている「襪子」は古いが、「足袋」は比較的新しいというべきである。くつしたにも色々とあるものだ。
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