洗面は、西天竺国よりつたはれて、東震旦国に流布せり。諸部の律にあきらかなりといふとも、なほ仏祖の伝持これ正嫡なるべし。数百歳の仏仏祖祖おこなひきたれるのみにあらず、億千万劫の前後に流通せり。ただ垢膩をのぞくのみにあらず、仏祖の命脈なり。
『正法眼蔵』「洗面」巻
道元禅師が、単純な「テキスト至上主義」では無かったことを示す一文として理解されたい。これは、どういうことかというと、道元禅師が「洗面法」について言及する中で、この作法は西天竺国=インドから伝わって、東震旦国=中国に流布したのだが、作法の内容については、諸部(インド仏教の各部派)がまとめた『律』に明らかだけれども、ところが、実際には「仏祖の伝持」こそが正嫡であるという。
この正嫡という言葉は、決して生やさしい意味では無く、正しく受け継がれたものという強い意味を持っている。だからこそ、この「仏祖の洗面法」については、これまで数百年の仏祖が行ってきただけではなく、更にその前後の無限の時間にも流通するべきものだという。
・しかあれば、楊枝は、仏祖ならびに仏祖児孫の、護持しきたれるところなり。
・いま洗面・嚼楊枝、ともに護持せん、補虧闕の興隆なり、仏祖の照臨なり。 ともに「洗面」巻
ここにも、洗面・歯磨きに関わる事柄について、仏祖が護持していること、そして仏祖によって照臨せられて日々興隆していくことが書かれている。
これらから、仏祖の洗面法は、断絶することがあってはならないことだと理解できる。しかも、洗面法とは、顔から垢や汚れを除くという具体的効能のみを指すのではなく、「仏祖の命脈」だと定義されたことが大きい。我々の坐禅なども、このように考えねばならないところである。確かに、身心が落ち着いたり、という効能はあるのかも知れない。だが、比べるまでも無く重要なことは、坐禅とは「仏祖の命脈」であると言うことだ。
我々はここを忘れれば、坐禅もただの健康を求める体操になってしまうのだ。
さて、本題に戻すが、道元禅師が仰っていることを素直に受け取ると、テキストよりも、「仏祖の伝持」を強調していることが分かる。つまり、道元禅師が中国で見てきた洗面法は、テキストで書かれていたことと若干の相違があったことが理解できよう。つまり、作法として理に契い、全体的な叢林修行に組み込まれたものであったはずで、その全体を道元禅師は中国で経験され、日本に将来された。
よく、道元禅師が釈尊信仰を持ち、原始仏教に還ろうとした、という人がいるが、そういう説は余り意味が無い。道元禅師にとって、釈尊個人というよりも、その法灯を嫡嫡相承してきた仏祖が重要なのであり、その仏祖が示した作法に則って日々生活することを重視しているのである。
だからこそであろう。道元禅師が書かれた『清規(永平清規)』は、必ず従来の諸文脈を脱落させ、必要な事柄を簡潔に示すようになっている。その開示する判断基準こそが「仏祖の伝持」「仏祖の命脈」といえる。そういえば、以前も【面山瑞方禅師『傘松日記』に見られる道元禅師の御袈裟について】という記事で、今回と同じようなことを書いたのを思い出した。
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