つらつら日暮らし

「庫司」「庫頭」について

これまで、関連する幾つかの記事を書いてきた。例えば、以下の通りである。

六頭首の一考察
「知庫」って何だ?
「副寺」の一考察


それで、今回の記事で、とりあえず禅宗叢林に於ける会計担当についての記事がまとまるので、最後までしっかりと書いておきたい。それで、拙僧自身の問題意識だが、①のように、そもそも禅宗に於ける知事や頭首と呼ばれる人達の人数はどれくらいなのか?というところから始まった。そうすると、知事及び頭首がそれぞれ4~6人という数字が出てくる一方で、どうも、そういうのが決められていない場合もあったようだと分かった。おそらくは、地方の小院などでは当然、そんなに多くの役寮は要らないから人数など決まっていない場合もあったという考えになる。

また、そういう中で②のように、「知庫」という役職について興味を懐いた。名称からすれば、知殿や知蔵などと同じく「頭首」に入っていそうだが、入っていない。その経緯を調べていった時、結局、寺院内に於ける「会計」をどの役職が担当するかで、紆余曲折があったことを理解した。③の記事で、元々は頭首に入っていた「庫頭」が会計を行っていたが、後に「副寺」となった様子が理解出来たわけである。

ただし、ここで「副寺」の理解が難しいのは、『禅苑清規』の段階で「監院」を補佐する「副院」という役職があって「庫院」で仕事をしていたようだが、この人とは他に同清規中には「庫頭」が置かれ、会計は後者が担当しているため、要するに、「副院=副寺」だとしても、会計担当ではない、という話になる。よって、『勅修百丈清規』では「副寺」を立てつつ、そこに「庫頭」を統合したのであった。言い換えれば、会計担当の位置付けがより重くなったということなのだろう。

そこで、道元禅師の場合、ちょうど、『禅苑清規』と『勅修百丈清規』の間くらいの時代である。一応、「副寺」についての言及はあるが、会計担当としての位置付けとは限らない。また、一方で、「庫司」という役職が見える。そこで、当記事では、道元禅師の在世時に於ける「庫司」の位置付けと、その後の曹洞宗に於ける位置付けの比較をしてみたい。

道元禅師は引用文で「庫頭」を引くが、定義などは示されていない。一方で、「庫司」については、『典座教訓』・『正法眼蔵』「安居」巻・『知事清規』でその役について示している。例えば、『典座教訓』では以下の通りである。

禅苑清規に云く、物料并びに斎粥の味数を打するが如きは、並びに預め先ず庫司と知事と商量すべし。いわゆる知事とは、都寺、監寺、副司、維那、典座、直歳有るなり。
    『典座教訓』


このように、まず「庫司」については、『禅苑清規』「典座」項からの引用文として見えている。それから、他の内容も、基本は『禅苑清規』からの影響ではある。そのため、定義などは同書巻4「庫司」項に依拠している印象ではある。

・ときに鼓響すれば、大衆すなはち雲堂の点湯の座に赴す。点湯は庫司の所弁なり。
・堂頭・庫司・首座、次第に煎点といふことあり。しかあれども、遠島・深山のあひだには、省略すべし、ただこれ礼数なり。限院の長老、および立僧の首座、おのおの本寮につきて、知事・頭首のために特為煎点するなり。
    ともに『正法眼蔵』「安居」巻


これは、結制時の土地堂念誦罷に於ける「僧堂煎点」について、点湯の所管が「庫司」であることを示している。なお、これはおそらく役職としての「庫司」だと思えるのだが、そうではなく解釈される場合もある(上記一節も、「庫院」を指している可能性はある)。

大衆、礼拝、をはりて、知事、まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座、すなはち大衆を領して庫司にいたりて人事す、いはゆる知事と触礼三拝するなり。
    同上


こちらを見ると、「庫司にいたり」とあるので、場所を指していると思われる。要するに「庫院」のことであろう。そして、以下の一節などはどうか?

  寛元三年四月十四日  庫司比丘〈某甲〉等謹白
 知事の第一の名字をかくなり。
    同上


これは、先に挙げた「僧堂煎点」を知らせる牓の末尾に「庫司比丘〈某甲〉等」とあるのだが、道元禅師は「知事の第一の名字を書くなり」としている。要するに、「庫司」とは、知事達のことを指しているのである。そう考えると、先に挙げた、「堂頭・庫司・首座、次第に煎点といふことあり」となっているのも分かる。最初拙僧は、何故、堂頭の次に首座ではないのか?と思っていたのだが、ここの間に見える「庫司」が、「知事」のことを指すとすれば、話は全く違う。

それでは、結論に代えて、『知事清規』を見ておきたい。こちらでは「庫司」という単独の項目は出ていないのだが、「監院」「維那」「典座」の各項目に名前が見える。

①庫司の財用闕乏するが如きは、自ら当に力を竭して謀を運らすべし。 「監院」項
②闕少有るが如きは、庫司及び直歳に聞いて添換すべし。 「維那」項
③亡僧を津送するに及んでは、衣物を估唱す。亡僧の度牒を繳納するに、或いは紫衣・師号の文牒等は、並びに維那専切に管勾して、庫司に報じて官に申せ。 「維那」項
④監院・直歳・庫司の所管に係るべきが如きは、同じく共に商量すれば即ち可なり。並に須らく権を侵し職を乱すべからず。 「典座」項
⑤典座、庫司に就いて物料を打するに、多少を論ぜず、麁細を管せず、但だ是れ精誠弁備するのみ。 「典座」項


以上である。ただし、これらの多くは『禅苑清規』を受けた教示であるが、例えば、②や⑤などは会計担当だったように思われる。一方で、①や③などは庫司という役名というより庫院自体を指すようにも思う。また、④は明らかに役名であろう。

それから、もう一つ見ておきたい文脈がある。

示シテ云ク、古人ノ云ク、所有ノ庫司ノ財穀ヲバ、因ヲ知リ果ヲ知ル知事ニ分付シテ司ヲ分チ局ヲ列ネテ是ヲ司サドラシムトイフコヽロハ、主人ハ寺院ノ大小ノ事都テ管ゼズ、只管工夫打坐シテ大衆ヲ勸ムベキユヘナリ、
    面山本『正法眼蔵随聞記』巻5


こちらのように、「庫司の財穀」という表現があるが、これも、先に挙げた、役名・庫院・会計担当のどれにも該当するように思わせてしまう。なお、上記の一節は、別本では以下のようになっている。

示云、古人云、知因識果の知事に属して、院門の事すべて管せず。言心は、寺院の大小事、須らく管せず、ただ工夫打坐すべしとなり。
    長円寺本巻6


こちらは、「庫司」の言葉が出て来ない。ただし、30年代後半の道元禅師が、既に叢林に於ける役職の分担について論じたことを示すといえよう。その中で、「庫司」について言及された一伝承もあったと理解しておきたい。

それから、瑩山紹瑾禅師の『瑩山清規』『洞谷記』などを見ると、やはり「庫司」の名前を見出すことは出来るが、既に紹介したこと以上の、公務などについて知られるほどの情報は無かった。よって、この記事は以上としておきたいのだが、考察すべき課題は残存した。それは、瑩山禅師は「庫司」と「副寺」を併存させているのである。これはまた、記事を改めて考察したい。

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