つらつら日暮らし

恵心僧都源信作という『自誓戒』作法について

これがどういう経緯で書かれたものか、当方は良く分からないのだが、何故か手元に、恵心僧都源信が書いたという『自誓戒』作法の江戸期版本があるので、これを元に記事を書いておきたい。なお、この作法書であるが、もちろん『恵心僧都全集』の第5巻にも収録されているが、底本は『天台霞標』と、江戸時代の天和2年(1682)の版本とのこと。当方の手元にあるのは文政10年(1813)版なので、後刷の1本になるだろう。かなり小さめの折本になっていて、儀礼用に用いられたことは明らかである。

そこで、この『自誓戒』作法だが、全体の差定は以下の通りである。なお、差定名は書かれていないので、当方の方で適宜判断して付したものである。

一 請戒
二 三帰戒(今身より尽未来際)
三 懺悔
四 四弘誓願
五 受菩薩戒(三聚浄戒・十重禁戒)
六 説戒
七 回向
八 回向頌


以上である。そこで、この差定について、どのようにして「自誓受戒」が成立しているのかを確認してみたい。当方が気になったのは、この『自誓戒』作法について、冒頭では、「比丘某甲」となっているが、他では「弟子某甲」となっている。そうなると、この『自誓戒』作法とは、優婆塞や沙弥が比丘になるための方法ではなく、声聞戒を受けた比丘が、改めて菩薩戒を受けるための作法であったといえる。

ただし、本書が本当に源信作かどうかは微妙なところである。次のような一節がある。

然れども世は是れ末世なり。身は則ち凡夫なれば菩薩戒を持すること、如法ならざると雖も、正教の所説、深く之を信受す。
    「請戒」項


ここから、本書の作者は「末世」の自覚があったことが分かる。だが、他の源信の著作を見ても、当代に於いて「末世」の自覚があったかどうかは分からない。だいたい、末法元年についても、いったい何時のことだと考えていたのかは、大きな問題で、特に源信の場合には永承7年(1052)以前に遷化しているので、像法の長さを何年と考えていたかで、既に末法に生きていたのかどうかが問われる状況である。

無論、既に来ている、或いはどちらにしろ来るはずということは分かっていたはずで、そのための阿弥陀信仰であったと当方などは理解していたのだが、この辺はどうだろうか?『往生要集』には勿論、「末法」のことは説かれるが「末世」という語句は出てこない。適当に考えれば同じであるが、用語の要否というのはそれなりに重大なことだ。

以上のような問題点があることを踏まえて上記一節を読むと、菩薩戒を受けても、それを如法に持するかどうかは分からないという立場であった。ただし、本書では、菩薩戒とは受法のみであって捨法が無いことを根拠に、「浄戒常に心中に在ることを」と記している。更に自誓受戒の意義については、「今、仏前に於いて自誓して之を受けん。受戒、如法の儀式に非ざると雖も、先に三宝に帰す」とあって、「自誓受戒」が非常的措置であることが良く分かっている。

さて、そこで「自誓受戒」ということが確認されるような文脈を見てみると、おそらくは次のような数節が該当するのであろう。

・唯だ願わくは三宝証明知見したまへ(請戒)
・唯だ願わくは三宝慈悲護念〈三返〉(三帰戒・懺悔・四弘誓願・受菩薩戒・説戒・回向)


以上の通りである。つまり、今回紹介している『自誓戒』では、何か唱えた後、末尾に必ず三宝への祈願が入り、その証明や護念を期待するのである。この部分について、もし、眼前に戒師(本師)がいれば、その戒師が本来は行うものであったことだろう。

だが、他には特に一般的な授戒で唱えられたとしても、おかしくはない文脈や偈文である。また、実際にこの式法がどれほどに用いられたものかは良く分からなかった。江戸時代に刊行されていることから、もちろん需要があってのことだろうが、戒師たるべき人などその辺にいたと思うので、その辺は解せないのであった。

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