大科第七 問遮(続き)
四には、和上を殺さざるや否や。
答えて曰く、否なり。
私に云く、和上と云ふは和尚なり。然るに和尚、此には力生と云ふ。若し受戒の時は、和上は正師なり。若し人、正師に値て受戒すれば、無量億劫の生死の罪を滅除する恩徳、殊に重し。豈に三業共に害を作さんや。
『続浄土宗全書』巻15・77頁、訓読は原典に従いつつ当方
「和上」という呼称だが、日本だと奈良時代に来日した鑑真和上に用いられることが多いが、もちろん、鑑真和上のみの呼称ではない。いわゆる「和尚」と同じことであり、「力生」ともいう。そこで、ここで気になるのは、「正師」という表現を用いていることだろう。「正師」というと、道元禅師が『学道用心集』や『正法眼蔵』で用いられた印象があり、法然上人の著作には見られないと言って良いかと思われる。
かつてであれば、『金剛宝戒章』が法然上人の著作だと考えられており、同書では「第三請師」の項目に、「和上とは正師なり」とあって、『浄土布薩式』との共通点が見られるが、『金剛宝戒章』も、近年では法然上人の新作とは捉えられていないため、むしろ『浄土布薩式』もまた、異なる著者を想定する方が自然となってしまう。
それから、本書では「若し人、正師に値て受戒すれば、無量億劫の生死の罪を滅除する恩徳、殊に重し」とあるが、「正師」にそこまでの功徳があるという話は、法然上人が戒師として非常に歓迎されたこととも関わっているのかと思う。
この箇所については、今後も検討を進めてみたいので、今回の記事はここまで。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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