花無心にして蝶を招く
蝶無心にして花を尋ぬ
花開く時、蝶来り
蝶来る時、花開く
吾れも亦人を知らず
人も亦吾れを知らず
知らずして帝の則に従う
越後の良寛さまの言葉です。
先日参加した青少年教化協議会主催
「正力松太郎賞30周年・現代名僧墨蹟展40周年・ぴっぱら500号発行」
の記念式典で、
松原泰道先生がお書きになった「花無心にして蝶を招く」という掛け軸を発見。
http://blog.goo.ne.jp/ayus1993/d/20060510
昔から好きな言葉で、チャリティーということもあり、お買い上げ。
その掛け軸がついに天真寺に到着。
良寛さんは、
一休さんと並びみんなによく知られ、子どもと共に、自然のままに天真爛漫に生きられた方である。
良寛さんには、こんな逸話がある。
夜、便所の中に竹の子が生えてきたのを発見。
良寛は、ロウソクでトイレの屋根に穴を開け、
成長の早い竹の子を、伸ばしてやろうとした。
そのため、便所(当時は別棟が普通)は火事となり、焼失してしまった。
何とも言えない純朴な良寛さんの姿が伝わってくる話である。
そんな良寛さんの言葉である。
花は、何のはからいもなくただ蝶を招き入れる。
蝶は、花の蜜に吸い寄せられるように花を訪れる。
そこには、何の計らいもなく、つながっている世界がある。
お互いが支え合っている、自然のリズムにまかせた姿である。
(知らずして帝の則にしたがう)
私たちの世界はつい物事を打算で考えてしまう。
損をしないだろうか?
楽しいことはないだろうか?
もっと儲からないだろうか?
その打算・思いが、人間関係・自然との関わり方でもある。
その延長線上に、
現代の諸問題が生まれてきたのではないか。
良寛さんは、ありのままに生きていく姿を私たちに教えてくれる。
それは、苦しいことは苦しい、悲しいことは悲しい、とそこに止まるのではなく、
1つ1つのであいを大切にし、そこに意味を見いだしていく世界ではないだろうか。
ちなみに、
この掛け軸は今月いっぱい一階和室にかけてあるので、是非ご覧下さい。
(龍)
蝶無心にして花を尋ぬ
花開く時、蝶来り
蝶来る時、花開く
吾れも亦人を知らず
人も亦吾れを知らず
知らずして帝の則に従う
越後の良寛さまの言葉です。
先日参加した青少年教化協議会主催
「正力松太郎賞30周年・現代名僧墨蹟展40周年・ぴっぱら500号発行」
の記念式典で、
松原泰道先生がお書きになった「花無心にして蝶を招く」という掛け軸を発見。
http://blog.goo.ne.jp/ayus1993/d/20060510
昔から好きな言葉で、チャリティーということもあり、お買い上げ。
その掛け軸がついに天真寺に到着。
良寛さんは、
一休さんと並びみんなによく知られ、子どもと共に、自然のままに天真爛漫に生きられた方である。
良寛さんには、こんな逸話がある。
夜、便所の中に竹の子が生えてきたのを発見。
良寛は、ロウソクでトイレの屋根に穴を開け、
成長の早い竹の子を、伸ばしてやろうとした。
そのため、便所(当時は別棟が普通)は火事となり、焼失してしまった。
何とも言えない純朴な良寛さんの姿が伝わってくる話である。
そんな良寛さんの言葉である。
花は、何のはからいもなくただ蝶を招き入れる。
蝶は、花の蜜に吸い寄せられるように花を訪れる。
そこには、何の計らいもなく、つながっている世界がある。
お互いが支え合っている、自然のリズムにまかせた姿である。
(知らずして帝の則にしたがう)
私たちの世界はつい物事を打算で考えてしまう。
損をしないだろうか?
楽しいことはないだろうか?
もっと儲からないだろうか?
その打算・思いが、人間関係・自然との関わり方でもある。
その延長線上に、
現代の諸問題が生まれてきたのではないか。
良寛さんは、ありのままに生きていく姿を私たちに教えてくれる。
それは、苦しいことは苦しい、悲しいことは悲しい、とそこに止まるのではなく、
1つ1つのであいを大切にし、そこに意味を見いだしていく世界ではないだろうか。
ちなみに、
この掛け軸は今月いっぱい一階和室にかけてあるので、是非ご覧下さい。
(龍)