天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

親鸞聖人ご誕生の地(前編)

2011-12-12 20:17:58 | 京都便り

親鸞聖人ご誕生の地、日野誕生院と法界寺を参詣しました

承安3年(1173)親鸞聖人は京都伏見の日野でお生まれになり、

得度されるまでの幼少期をここ日野の里で過ごされました。

 

日野誕生院は、本願寺第20代広如宗主が文政11年(1828)に堂宇を建立されたのがはじまりで、

当初は聖人のお父様の日野有範卿にちなみ、有範堂、宝物堂とも呼ばれていたとの事です

その後代21代明如宗主が日野別堂と改名されました。

さらに大正12年(1923)に立教開宗700年記念を機に堂宇の大改造が計画されて、

第23代勝如宗主の昭和6年(1931)に現在の本堂が完成、日野誕生院と改称し

本願寺の飛地境内となっています。

 

 

 

本堂前は回廊になっています。

これは親鸞聖人がお生まれになった頃を偲び、平安時代の建築様式を取り入れられたそうです

ご本尊を中心に左脇檀に親鸞聖人のご影、右脇檀には勝如上人(前門様)

本堂内部の厨子その他調度仏具類も時代相応にされていました。

左余間のお木像は聖人のお父様、有範卿です

 

 

本堂の裏手には日野家のご廟所があります。

左側に建っている、花入が前に二つあるのがお父様有範卿のお墓です。

右側にみえる、お花がさしてあるのがお母様吉光女のお墓です。

 

 

途中、親鸞聖人ご幼少のお像と聖人の歌碑が建っていました。

「明日ありと思う心のあだざくら 夜半に嵐の吹かぬものかは」

 

聖人は京都東山の青蓮院で9歳の時にお得度(僧侶になる事、その当時は出家でした)されました。

伯父の範綱公に連れられて、お得度される青蓮院に到着されたのは夜中であったそうです

度式を執行される慈円(慈鎮)僧正が「今日はもう遅いから明日にしましょう」と言われたところ、

親鸞聖人がこのうたを詠まれたと伝えられています

9歳の少年が述べる無情の理に並々ならぬ決意を感じられた慈円僧正は、

その後すぐに得度式を執り行われたそうです。 

 

聖人はご両親と幼い頃にお別れになっています。

お父様とは4歳、お母様とは8歳の時であったともいわれます。

又、聖人のお生まれになった時代は貴族から武士への政権交替による戦乱、

大飢饉、大地震、疫病の流行など、混乱の時代でした

そんな幼少時代を過ごされた親鸞聖人のお気持ちはどんなだったのでしょうか。

相当の決意をもってのお得度、寂しかったのかなあ、悲しかったのかなあ、

苦しまれたのかなあ、求道に熱く燃えられていたのかなあ・・と想いを馳せながらの

参詣となりました。

 

さらに法界寺では親鸞聖人の幼少時代を偲ぶ事となったのですが、

続きは後編で

(果)