あした天気にな~れ

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気仙沼は

2011年06月03日 | インポート
山形を意外にすんなり終えてきたので、訪問できずにいた気仙沼を訪問。

港近くの建物は、壊滅状態で目指す建物は瓦礫に変わっていた。勿論、電話も電気も繋がって居らず、探す術はなく、諦めて戻る。

大きな建物も一階部分は総て流され、ようやく動き出そうしている状態見見受けられた。

客先の自宅を訪ね、津波の状態や火の海と化した町中を高台からみてて、周りは皆避難してて、ロウソクを灯しながら叫び声を聞きながら過ごした一夜が忘れられない。助けようにも真っ暗で何処にいるのかさえ判らず、水が引けたとはいえ動けないのが現実だったそうな。

最近、ようやく電気が繋がり、明かりのある生活に戻ったそうだが、電話は目処が立っていないようでした。

1週間身動きがとれない状態が続き、それでも他被災者の方が被災度が大きく、家が残っただけでは被災の声を上げられないとも言っていた。電気、水、食料は平等に必要なのにと・・・

それでも、どうにか回復しつつあり、一歩一歩復興して行くんだと、まだまだ元気な一面も見えたので安心してきた。

被災度の違いでこうも生活が違いすぎるのはいかがなものかとも考えてきた。