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須賀川市が購入した芭蕉三子三箋記念講演会「芭蕉研究者加藤定彦先生の講演会に寄せて」

2019年01月12日 | 幕末動乱の地を行く

芭蕉研究者加藤定彦先生の講演会に寄せて

 伊能忠敬研究会東北支部長 松宮輝明記

 

 

平成30ね11月23日(金)午後2時から「芭蕉、曽良,等躬三筆」の講演会が市役所4階で開催されました。

講師は、立教大学名誉教授(文学博士)、加藤定彦先生の講演です。

 〇須賀川市文化スポーツ部長安藤基寛氏の講師紹介

 

〇立教大学名誉教授、文学博士加藤定彦先生の講演

 
 
 〇芭蕉曽良須賀川の俳諧師いついて熱心に受講する
 

 

 

〇講義を拝聴する俳句愛好者は120余名

 


 ◎加藤定彦先生との出会い

芭蕉研究の第一人者、文学博士の加藤定彦先生とは、平成18年8月に知遇を得ました。

江戸時代、「近代地図の創始者伊能忠敬」の研究で加藤先生のご教示をいただきました。

下総九十九里浜の伊能忠敬の実家神保家の一門は、40余名の俳句集団でありました。

芭蕉伊勢派の佐久間柳居、白井鳥酔の門下生であり、伊能忠敬親子も芭蕉伊勢派の俳諧師で俳号は父が「都船」忠敬が「東河」と称し江戸の文化人と広く交遊しております。そして、江戸の文人を援助しております。

 

加藤定彦先生の書簡を紹介いたします。(平成18年8月)


松宮輝明様へ 拝復

ご丁寧はお便り丁載、早速拝読いたしました。

お尋ねの資料は「鳥酔先師懐玉抄」が正しい書名です。

御覧下さい。奥州の旅での句を2冊にまとめたもです。

門人が先師鳥酔の追善として、旅での句としてまとめ,発刊したのです。

白井鳥酔が須賀川に寄っているのは、別の資料「乙酉唫行甲乙記」の「壬申」に奥州へ旅したことが記されているので、宝暦2年(1752)のことと思われています。たまたま、目に着いただけで詳しくしらべたわけではありまっせん。

郡山の郷土史家の方が宝暦七年とありますが、何によられたのでしょうか。

『鳥酔先師懐玉抄』を収録する『俳文学大系』紀行編にやはり奥羽紀行がありましたので、参考までに関係部分を同封しました。

 なお、当方、現在、一具庵一具の門人、鉾田市二重作(霞ヶ浦の北浦辺)の友甫宛に送られた俳人書簡を入手、活字化中です。

須賀川俳人多代女や清民などの書簡が幾つかあり、俳諧摺物の送り状が含まれています。

須賀川市立博物館調査報告書9・10(平成10~H)で「俳諧摺、上・下」の特集を出しているとのことです。

以前から手に入れたいと思っていました。もし、博物館にお知り合いの方などいらっしゃり、手にはいるのでしたら、お口添え頂けませんでしょうか。

よろしくお願いします。

 尽くしませんが、まずはご返事旁。時節柄ご自愛下さ。

            匆々

平成18年8月30日

          加藤定彦

 

須賀川の俳句綴りをお送りすると、ご丁寧なお手紙をいただきました。。

 

11月17日(土)、全国から多くの俳人が集い秋の風物詩「牡丹焚火」が開かれた。

11月19日(月)、須賀川ロータリークラブで「正岡子規の福島俳句紀行・正岡子規と須賀川」の講演会の依頼で、須賀川を訪れた俳諧師を紹介し、加藤定彦先生の講演会のご案内をさせていただきました。

多くの市民の皆様に聴講をいただければ幸いです。


須賀川市立博物館で開催中の「その名は等躬」をご高覧いただき、奥州街道第一の宿場町「須賀川宿」の文化の継承を念じております。

「文化は街を育てる」

 ◎芭蕉の流れを継ぐ石井雨考

〇須賀川の俳諧師石井雨考の肖像画(石井恵三氏所蔵)
 

 〇左より市原たよめ、遠藤由一画、石井雨考筆(石井敬三氏所蔵)

 
 
 
〇石井雨考が芭蕉を慕い建てた「軒の栗跡碑」
 

◎軒の栗,可伸亭跡由来

 

〇藤井晉流の時雨の塚

 
 
 
 
 
 
 
 
奥羽第一の宿場町と謳われた須賀川宿。奥の細道で松尾芭蕉が7泊8日を過ごした町でもあります。
須賀川市の文化「俳句の町須賀川」の伝承において、加藤定彦先生の講演は今後、須賀川市において大変有意義な講演会でした。
 ◎俳句の町、牡丹焚火
◎晩秋の風物詩「須賀川牡丹園の牡丹焚火」
 
 

◎ドウダンツツジ