四国お遍路・小さな旅

 霊場巡礼と自然・花巡り、小さな旅の気まぐれブログ。

第33番 谷汲山 華厳寺

2019年02月02日 | 西国33所巡礼の旅


西国第33番札所 谷汲山 華厳寺


 

 

 華厳寺は「西国33所観音霊場」の第33番札所の結願・満願寺として知られ、春には桜、秋には紅葉の名所として賑わいをみせているようです。


 古来より観音信仰の霊験厚く、天皇、法皇を始めとする皇室、朝廷、有力豪族や民衆からの帰依厚く、益々の隆盛を極めました。また、西国満願の札所として花山法皇がお詠みになられた三首の御詠歌があり、それぞれ、現世・過去世・未来世を表しており、「世を照らす・・・」は現世を表した御詠歌で、観音様の大慈大悲の心は、私達がこの世の道を迷わぬよう照らし導いていて下さっているそうです。


本堂(観音堂)

 

御詠歌 世を照らす 仏の験し ありければ まだ灯も 消えぬなりけり  (現世) 


 

満願堂


御詠歌 万世の 願ひをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 (過去世) 




笈摺堂


御詠歌 今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲 (未来世) 





御朱印 本堂(観音堂)


御朱印 満願堂


御朱印 笈摺堂





 





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第32番 繖山 観音正寺

2019年01月23日 | 西国33所巡礼の旅

 

西国第32番札所 繖山 観音正寺



 仁王像(山門を持たない当寺の門固め)

 

 

 

御詠歌 あなとうと 導きたまえ 観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを




本堂

 




日本で唯一、聖徳太子が人魚のために開基した寺院

 観音正寺は、今から約1400年前、聖徳太子によって、標高433メートルの繖山に開創されました。
 推古天皇の御代、近江国を遍歴していた聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出会います。人魚は「私は前世漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖山にお寺を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願しました。聖徳太子はその願いを聞き入れみずから千手観音の像を刻み、堂塔を建立したとされ、日本唯一の人魚伝説が残る寺院としてその歴史は脈々と受け継がれているそうです。



本尊(総白檀丈六千手眼観世音菩薩坐像)

 




境内(繖山)からは、まさに“天空の寺院”にふさわしい、安土城のあった安土山や、西の湖をはじめ、素敵な絶景が広がります。

 

 




御朱印







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第31番 姨綺耶山 長命寺

2019年01月16日 | 西国33所巡礼の旅



西国第31番札所 姨綺耶山 長命寺





御詠歌 八千年や 柳に長き 命寺 運ぶ歩みの かざしなるらん








 当寺は琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られ、かつての巡礼者は、第30番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣したそうだ。

 その歴史は古く伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、竹内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられている。

 その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。





なぜ? 西国十番 長命寺・・・



御朱印





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第30番 竹生島 宝厳寺

2019年01月08日 | 西国33所巡礼の旅



西国第30番札所 竹生島 宝厳寺




御詠歌 月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積むここちして



 竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりだそうです。

 豊臣秀吉の遺命により京都東山「豊国廟」より移築された西国第30番札所観音堂・唐門、藤原時代の工風を忠実に再現した高雅華麗な大辯才天堂などがある。特に「唐門」は豊臣期の大坂城の唯一現存する遺構として有名だそうです。

 古くは平経正が琵琶をひいて戦勝を祈願し、謡曲『竹生島』など数多くの音曲にも、この島の美しさがたたえられ、今もなお、神秘とロマンがいっぱいに秘められた竹生島。


弁財天堂



三重塔



御朱印

 











 

 

 

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第29番 青葉山 松尾寺

2018年12月28日 | 西国33所巡礼の旅


西国第29番札所 青葉山 松尾寺




山門




御詠歌 そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに 松の尾の寺




本堂


 松尾寺が、その中腹に位する青葉山は、福井県から望見すれば、東西に並び立つ双峰が一つに重なり、その秀麗なさまは「若狭富士」と呼称されているそうだ。


 富士なくば 富士とやいわん 若狭なる 青葉の山の 雪のあけぼの 
 

         御陽成天皇皇子・八条王子


 この山は死火山で、昔火焔を吹き上げ、噴流は直下の日本海に注いで凄絶な水煙をあげていたものと思われる。この厳しい表情をたゝえた険峻な山は、早くから修験道修行の場となっていた。

 時に慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し,草庵をを結ばれたのが,和銅元年(708年)と伝えられているそうです。



本尊の馬頭観世音は、西国33霊場中唯一の観音像。




御朱印








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