奈久智王子跡
看板のある民家の南側に、狭い石段道が蜜柑畑に沿って登っている。それを登ると椿の木に隠れるように小祠が鎮座している。奈久智王子社である。
竹内神社(武内宿祢産湯の井戸)
武内宿禰は大和朝廷初期に景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の約300年間、大臣としての各天皇に仕えたという長寿を保った伝説上の忠臣である。また、武内宿禰は忠臣とされることから、明治・大正・昭和と戦前迄のお札の肖像としても採用されていたそうだ。
もう一つの奈久智王子跡
もう一つの奈久智王子は武内神社から古道を南下、薬勝寺の大池を過ぎた辺り、道から左側のこんもりとした竹藪。そして地蔵さんの奥の竹藪の中に小祠があった。紀伊続風土記では、此処を奈久智王子社と比定しているようだ。
四つ石地蔵
かって多田にあった三上院千光寺の礎石を集めて地蔵尊を祀ったのがこの四つ石地蔵だそうだ。また、この前を通る熊野古道は、伝説、浄瑠璃等で有名な小栗判官と照手姫の話に由来して、小栗街道とも呼ばれているそうだ。
松阪王子跡
多田の集落を突っ切り、まっすぐ南下して且来の光明寺も過ぎて県道と出会う所に松坂王子跡の祠がある。
江戸時代以降には紀三井寺、内原、黒江を経て藤白へ至る熊野街道が整備され、祓戸王子社以北の王子社は衰退していったようだ。
次回は汐見峠を越えて松代王子から
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