叶王子(津井王子)跡
国道42号線を南下。叶王子社跡は印南漁港を北から一望する小高い丘の上に建っていた。
叶王子神社跡の鳥居と叶王子社跡石碑
地元では願い、望み、夢が叶うの意から「おかのさん」と呼ばれ深く信仰、多くの絵馬が掛けられていた。
津井王子社は近世には叶王子社に移転したようである。
「紀伊続風土記」には「村の西端往還にあり、御幸記にツイの王子とある此社なるへし」と記してあるそうだ。
津井川の手前の42号線北側でドライブイン建築の際に丘陵地から瓦や土器が出土しており、津井王子社の跡と推定されているようである。
東光寺
照手姫が小栗判官の箱車を引き、一夜の宿を乞うた寺。
常陸の国城主小栗判官は共の照手姫の曳く箱車に乗り、艱難辛苦を乗り越えてここ紀の国印南迄やって来た時の事。
小栗判官のその異様な姿に、道々の宿にも断られ途方に暮れたあげくようやくこの寺にたどり着く。
「病人を連れておりますが、なにとぞ一宿をお許し下さい。」照手姫は、門前にひれ伏して懇願した。
あまりの貧しい身なりの二人に住職は「この寺は、布団もない貧しい寺ですが、それでよろしければ」と答え、笑顔で迎え入れたという。
そして、二人は薬師如来に祈願し、二十一日の願を懸け、満願の日に夢枕に薬師如来が出現し、「この上は熊野湯の峰にて湯治されよ」との告げられた。
二人は喜び、湯の峰へと参り、湯治に専念全快し、小栗家も再興されれたと伝えられてる。
以後小栗判官の通った熊野古道を「小栗街道」と呼ばれるようになった。
のこぎり坂の三体のお地蔵さん
お遍路道中の安全を見守っているのだろうか・・・
国道42号線の傍らに斑鳩王子跡の標識が見えた。
斑鳩王子跡
鵤(イカルガ)王子社は印南町光川に鎮座し、近世「富王子社」といわれている。
この辺りの地名を光川というのは「イカルガ」から転じて光川の字を当てたと云われている。また、富王子社も近くを流れる富川からと由来するらしい。
切目王子跡
切目王子社は熊野九十九王子の中でも藤代王子、稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子とともに五躰王子の一つに数えられた別格の神社だそうで、現在も檜皮葺春日造の社殿を中心に古風なたたずまいを遺している。
切目王子には「きな粉の伝説」という伝説が伝えられている。
その昔、僧侶をを殺して山に帰ってきた切部の王子は、捕らえられて右足を切られ、切部の山に追放された。
ところが王子は、熊野詣の帰途にある者たちから熊野権現の御利益を奪うようになり、参詣者たちを嘆き悲しませるようになった。
そこで参詣者が嘆き悲しむのを見た熊野権現は稲荷大明神と相談しかねて仲のよい「あこまち」を王子のもとにつかわし、王子が最も嫌がる「まめのこ」(きな粉)で化粧した者の御利益は奪わないよう約束させた。
その後、この約束に神のお告げがあり、参詣者は「きな粉の化粧」が行われるようになったそうだ。
次回は切目中山王子から
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