本当は、ここは
船の仲間の方と
連絡できやすいような
楽しいブログにしようと 思って
作った場所だったのですが
私の夫が急に亡くなったので
みなさん ご存じの方は
驚かれたことと思います。
ブログは 楽しいほうがいいに決まっていると
今も思っているのですけれど
きちんと 報告させてもらわないと
Mさんに ご迷惑がかかり
わずらわされて 勉強されている時間を
とりあげて しまうようなことになって
申し訳なかったです
ご存じの方も、そうでない方も
やっぱり健康第一は みなさんが 思うことですよね。
夫のことを少し ここに書かせてもらった
ほうが 良いかなと考えました。
夫は ちょうど 一年ほど前
12月10日に 吐血しました。
せきこみ 様子がおかしいので
土曜日で、お医者様は休みだったのですが
救急を受け入れてくださるとのことで
伺うと どこから 出血しているのか調べるということになりました。
お医者様からは
ひょっとして 胃カメラを飲む段階で 吐き気を催したりすると
そのまま 亡くなってしまうかもしれません。
と言い渡されたので
義母や 子供たちを呼び寄せました。
幸い そのまま 即入院
処理をするといっても 吐血が なかなかおさまらないので
点滴ばかりでした。
もちろん 絶食です。
なんとか 無事 お正月も乗り越え 1月26日に 退院
これ以上 病院ですることはない ということで
家での療養生活が始まりました。
病院にいたときと同じ お薬や 食後の調整剤を飲み続け
夏ごろには ずいぶん 元気になりましたが
秋を過ぎたころから 顔色も一段と黒く
あまり元気がありませんでした。
肝臓が悪かったので 黄疸もでていました。
秋が深くなるころから 食事があまりとれなくなり
薬も飲めない日が続きました。
4週間に一度 先生に診察してもらいますが
3週間目には 血液検査があります。
その血液検査の結果をもとに 次のお薬などの調節をされるのです。
食べたものをすぐ戻したり
食欲が無く 昼間もずっと寝てばかりという日がつづいて
風邪がおなかに入ったのかな?と
思ったりしていました。
のどが 痛そうに思えたので
茶碗蒸しを食べる?とか おうどんにする?
ゼリーにする?などと 誘う日が多くなり
あまりにも調子が悪そうなので
血液検査だけの日だったのですが
先生に診察してもらおう と 21日の日にでかけました。
予約の先生ですから
長い間待ちました
予約していないのですから 時間がなかなか
とってもらえず。それでも 様子を聞いた先生が
先に点滴を打ってまっててね。と
おっしゃったので ベットで 横にならせてもらいながら
とうとう 午後になりました。
10時ごろには病院にいましたので
延々と待っていたのです。
点滴も終わってしまい
3時になりやっと診察になりました。
喉のあたりが 腫れて見えたので
先生に 喉のあたりが膨れて腫れているように見えるのですが・・・と
お聞きしました。
血液検査の結果も 退院した時より悪い と 言う数字でした。
喉のあたりを見た 先生は
内臓がご専門なので 自分は 肝臓はみられるけれど 喉は違う科になるので
ここには 専門分野の 耳鼻咽喉科がない
○○病院なら 両方あるから そこで診てもらった方がい良い。と
紹介してくださることに。
CTを撮ってもらい 先生は そのCTを見て
すごく腫れているから 窒息しかねない 切開手術するかもしれないよ
と 分析されました
その日のうちに ○○病院に 手配してくださり
救急車で 向かった方が良いと 救急車に乗り込み移動しました。
○○病院では 耳鼻咽喉科の先生が 待ち受けてくださり
点滴で 抑えていきましょうと 仰ってくださいました。
しかし
2日経っても腫れは ひどい状態でした
段々悪くなるようで 夫は 苦しいのか もがくので
ついに 切開手術に踏み切りました。
声は もうほとんど聞こえないほど 悪い状態でした
切開手術をしてもらい 首から肩にかけても メスを入れて
うみを出すための管を 3本入れるという 手術でした
意識はあるのかないのか 眠ったままで 集中治療室に戻ってきました。
意識がはっきりあると 喉の切開手術でつけた 呼吸のためのホースを
自分で引き抜いてしまうので 眠らせてあるということでした。
ようやくましになるのかと思ったのもつかの間
状況は極めて 難しい 今夜がやまかも・・・という
電話を夜に貰い
次の朝 病院からの電話で すぐ来てほしいといわれ
子供たちと義母を乗せて 病院に向かいました
集中治療室にはいると 呼吸器の管ははずされていて
眠っているのかと 近づいたら
間に合いませんでした。 急に・・・・と
説明がありました
夫は 旅立ったのです。
入院して5日 命の 炎が 消えました。
もがいて 苦しそうだった顔ではなく
寝ているような顔のままでした
若いころは 長距離マラソンを趣味としていたと聞いています。
山登りが好きで
全国高い山をめぐりあるいた夫は
私たち家族をおいて 自分の人生を走り抜けていってしましました。
これからは 空の上から
私たち家族を 見守ってくれると思います
お通夜には たくさんの友人が 集まってきてくださいました。
ワイワイ 飲んで食べるのが大好きだった夫は
みんなに あほやな~ なんで 独りでいったんや。
などと 言われながら
大勢の お友達や 親戚に 見送られて
白い煙となって 天に昇っていったようです
ご心配いただきまして 申し訳ありません
色々と 励ましのメールなど ありがとうございました。
TAKE
船の仲間の方と
連絡できやすいような
楽しいブログにしようと 思って
作った場所だったのですが
私の夫が急に亡くなったので
みなさん ご存じの方は
驚かれたことと思います。
ブログは 楽しいほうがいいに決まっていると
今も思っているのですけれど
きちんと 報告させてもらわないと
Mさんに ご迷惑がかかり
わずらわされて 勉強されている時間を
とりあげて しまうようなことになって
申し訳なかったです
ご存じの方も、そうでない方も
やっぱり健康第一は みなさんが 思うことですよね。
夫のことを少し ここに書かせてもらった
ほうが 良いかなと考えました。
夫は ちょうど 一年ほど前
12月10日に 吐血しました。
せきこみ 様子がおかしいので
土曜日で、お医者様は休みだったのですが
救急を受け入れてくださるとのことで
伺うと どこから 出血しているのか調べるということになりました。
お医者様からは
ひょっとして 胃カメラを飲む段階で 吐き気を催したりすると
そのまま 亡くなってしまうかもしれません。
と言い渡されたので
義母や 子供たちを呼び寄せました。
幸い そのまま 即入院
処理をするといっても 吐血が なかなかおさまらないので
点滴ばかりでした。
もちろん 絶食です。
なんとか 無事 お正月も乗り越え 1月26日に 退院
これ以上 病院ですることはない ということで
家での療養生活が始まりました。
病院にいたときと同じ お薬や 食後の調整剤を飲み続け
夏ごろには ずいぶん 元気になりましたが
秋を過ぎたころから 顔色も一段と黒く
あまり元気がありませんでした。
肝臓が悪かったので 黄疸もでていました。
秋が深くなるころから 食事があまりとれなくなり
薬も飲めない日が続きました。
4週間に一度 先生に診察してもらいますが
3週間目には 血液検査があります。
その血液検査の結果をもとに 次のお薬などの調節をされるのです。
食べたものをすぐ戻したり
食欲が無く 昼間もずっと寝てばかりという日がつづいて
風邪がおなかに入ったのかな?と
思ったりしていました。
のどが 痛そうに思えたので
茶碗蒸しを食べる?とか おうどんにする?
ゼリーにする?などと 誘う日が多くなり
あまりにも調子が悪そうなので
血液検査だけの日だったのですが
先生に診察してもらおう と 21日の日にでかけました。
予約の先生ですから
長い間待ちました
予約していないのですから 時間がなかなか
とってもらえず。それでも 様子を聞いた先生が
先に点滴を打ってまっててね。と
おっしゃったので ベットで 横にならせてもらいながら
とうとう 午後になりました。
10時ごろには病院にいましたので
延々と待っていたのです。
点滴も終わってしまい
3時になりやっと診察になりました。
喉のあたりが 腫れて見えたので
先生に 喉のあたりが膨れて腫れているように見えるのですが・・・と
お聞きしました。
血液検査の結果も 退院した時より悪い と 言う数字でした。
喉のあたりを見た 先生は
内臓がご専門なので 自分は 肝臓はみられるけれど 喉は違う科になるので
ここには 専門分野の 耳鼻咽喉科がない
○○病院なら 両方あるから そこで診てもらった方がい良い。と
紹介してくださることに。
CTを撮ってもらい 先生は そのCTを見て
すごく腫れているから 窒息しかねない 切開手術するかもしれないよ
と 分析されました
その日のうちに ○○病院に 手配してくださり
救急車で 向かった方が良いと 救急車に乗り込み移動しました。
○○病院では 耳鼻咽喉科の先生が 待ち受けてくださり
点滴で 抑えていきましょうと 仰ってくださいました。
しかし
2日経っても腫れは ひどい状態でした
段々悪くなるようで 夫は 苦しいのか もがくので
ついに 切開手術に踏み切りました。
声は もうほとんど聞こえないほど 悪い状態でした
切開手術をしてもらい 首から肩にかけても メスを入れて
うみを出すための管を 3本入れるという 手術でした
意識はあるのかないのか 眠ったままで 集中治療室に戻ってきました。
意識がはっきりあると 喉の切開手術でつけた 呼吸のためのホースを
自分で引き抜いてしまうので 眠らせてあるということでした。
ようやくましになるのかと思ったのもつかの間
状況は極めて 難しい 今夜がやまかも・・・という
電話を夜に貰い
次の朝 病院からの電話で すぐ来てほしいといわれ
子供たちと義母を乗せて 病院に向かいました
集中治療室にはいると 呼吸器の管ははずされていて
眠っているのかと 近づいたら
間に合いませんでした。 急に・・・・と
説明がありました
夫は 旅立ったのです。
入院して5日 命の 炎が 消えました。
もがいて 苦しそうだった顔ではなく
寝ているような顔のままでした
若いころは 長距離マラソンを趣味としていたと聞いています。
山登りが好きで
全国高い山をめぐりあるいた夫は
私たち家族をおいて 自分の人生を走り抜けていってしましました。
これからは 空の上から
私たち家族を 見守ってくれると思います
お通夜には たくさんの友人が 集まってきてくださいました。
ワイワイ 飲んで食べるのが大好きだった夫は
みんなに あほやな~ なんで 独りでいったんや。
などと 言われながら
大勢の お友達や 親戚に 見送られて
白い煙となって 天に昇っていったようです
ご心配いただきまして 申し訳ありません
色々と 励ましのメールなど ありがとうございました。
TAKE