街道を行け!

街道を行く日記

スイスアルプス物語!70年も山に登れば(65)

2024-12-11 16:28:40 | 旅行

  

 なんて事だ!

 翌朝、小屋から出て、砂礫や大きな岩塊の積み重なった岩山を越すと、一時間で上の氷河に出た。モンテローザ山頂へは、この氷河の急傾斜を延々と進む。氷河の上には、昨日の雪が40cmほど積もっていた。岩山の上で、ピッケルを出し、アイゼンを着けてザイルを結ぶ。ここに10程のパーティーがいたが、誰も出発しようとしない。誰もがルートファインディングとラッセルを嫌い、他のパーティーの後に着く作戦であるらしい。結局、モンテローザ頂上直下の『ルンゼ」まで、延々5時間、私とフランス人ガイドが交代でルートファインディングと、ラッセルをする事になった。後のパーティーは私たちの後を付いてきて、私たちが休むと少し離れた下で休み、私たちが出発すると付いてきた。後続のパーティーの中に「ポーランドのテレビ隊」たいたが、これも前に出ようとはしなかった。なんて事だ。


スイスアルプス物語!70年も山に登れば(64)

2024-12-11 12:05:00 | 旅行

 ニューヨークの医学生「クリス」とモンテローザへ!

 私の「キャンピング事務所」に「ニューヨークに医学生クリス」が来た。『現地ガイドとマッターホルンを登る予定であるが、日程が決まらない。日程が決まるまでにモンテローザを登りたい。ガイドして欲しい。』と、自己紹介の後に言った。『明日は荒れた天気で、明後日、回復する。明後日、出発しよう。』と、なった。しかし、一旦引き上げた「クリス」が再び現れ、『明日、小屋まで上りたい。そうすれば、明後日の好天時に山頂アタックが出来る。その後、マッターホルンに登りたいので、是非そうしてくれ。』と言ってきた。

 翌日10時にゴルナーグラード登山鉄道に乗り込んだ。この日は朝から雨が降ったり止んだりしていた。ローテンボーデンの駅で降りる。モンテローザ氷河に沿って、緩いハイキング道を一時間進む。雨が強くなって来た。一時間進んだ地点から、氷河に向かって懸崖を50m下降する。懸崖には鉄梯子が掛けられている。ザイルを使用して、慎重に降ろす。モンテローザ氷河を斜めに横断して、モンテローザ小屋が建てられている岩山に取り付く。天気は雨から霙に、そして完全な雪になった。「クリス」を励まし小屋に辿り着いた。ローテンボーデンの駅から小屋まで、約三時間。下着までビショ濡れの「クリス」を、まずは着替えさせた。モンテローザ小屋は全面に太陽光パネルを張った、超モダンな小屋で人気がある。いつも満員であるが、今日は、悪天候なので空いている。濡れた物を干してビールをのんでいると夕食になった。夕食はフルコース。食後にワインを楽しんでから部屋に入る。『明日は二時起床。朝食の後、装備を整えて四時出発!』と告げて、就寝。

 


スイスアルプス物語!70年も山に登れば(63)

2024-12-11 11:25:07 | 旅行

 ロンドンの建築家「マーク」山頂を目の前に断念!

 ロンドンの建築家マークのマッターホーン登山は、テント場から四時間半で、フィックスロープの開始点に達した。山頂まで30分強。スイス側山頂は、目の前。斜面全体が雪で覆われる壁面の登攀となる。ピッケルを持ち、アイゼンを装着する。雪目を防ぐため、サングラスの装着は必須。ここで問題発生。ザックから出した「マーク」のサングラスは真っ二つに割れていた。予備はない。『雪目の危険を冒して山頂に向かう。』か、『ここから下山する。』かのどちらかを、選択するよう話す。『ここまでのクライミングが本当に楽しかった。大満足であり、ここからの下山を選択する。』と「マーク」は言う。欧米人の目は紫外線に弱い。

 写真を撮りながら、ゆっくり下山する。テント場着三時。マークは、J子さんの待つツェルマットへ急いで下る。私は景色を楽しむため、テントにもう一泊した。翌朝、ケーブルを使わずツェルマット迄歩いた。途中の瀟洒なレストランで「昼ビール」を楽しみながら下った。