みなさん、こんにちは。
昨日も暑い1日でした。気温は44℃!
もうとけてなくなってしまいそうです...
昨日ビーズフレンドの作品とレシピを日本に送って、ちょっとほっと一息ついた私ですが、またさらなる締め切りが...
今度のお仕事はアメリカのビーズ雑誌「BEADWORK」のお仕事です。
日本のビーズ雑誌とはちょっとまた違う、アメリカの雑誌のお仕事について今日は書いてみようと思います。
「BEADWORK」に掲載されるのは今度が3回目になります。
1回目は2003年12月・2004年1月号でした。(2ヶ月に1回の発行なんです。)
きっかけは2002年7月、「ビーズdeビーズ1」の取材で訪れたホビーショーでした。
私のつけていたテディベアのネックレスを気に入ってくれた、とあるビーズショップのブースの方が、私のことをBEADWORKのブースに引っ張って行ってくれて紹介してくれ、それを見た通称BEAD BOY のDUSTINが気に入ってくれて掲載が決まったのです。
でも、アメリカの雑誌は出たい人プロの人が多く1年以上先まで掲載予定が決まっているとの事でその後の進行はとーってもスローでした。
色々作品を見せた結果、ペンギンがいいとのことで、ペンギンの作り方を掲載する予定だったのですが、レシピを英語に訳して送った後、「アメリカ人にはちとややこしすぎる。クローズアップ記事に変えて欲しい。」とのメールが...
英語のあまり得意でない私に代わって、主人がライターになって記事を書いてくれ
無事に掲載されました。(やっちゃん、ありがとう。)
動物モチーフの作家としては初めてアメリカのメディアに掲載されたので、結構反響も大きく、たくさんの読者からメールをいただきました。
そして月日が流れ...
2005年7月に著作本「ビーズドールハウス」が出版されたすぐ後に、著作本を出版社に贈りました。
あわよくば、紹介してもらえないかしら...?と思って。
でも、ずーっと返事がこなかったので「無理だったのかな?」と諦めかけていた2005年12月、「ビーズドールハウスの書評をBEADWORK 2006 2,3月号で掲載したい」というメールがあってびっくり
書評はもちろん編集スタッフが書くということなので、一緒に作品も何点か送りました。
そしてまたまた月日が流れ...無事書評の掲載された雑誌も発売され、
またまた月日が流れ...
気がついたのです。
作品が戻ってこない...
どこかでなくなっちゃったのかな??
そう思った2006年3月のある日、出版社からのメール。
「ドールハウスの作品、見ました。とても興味深いので、今度クローズアップしたいです。つきましてはプロのビーズ作家兼ライターさんからインタビューを受けてください。」
なーんだ、なくなったんじゃなくって今頃見たのね!
ってなわけで、3回目の掲載が決まりました。
「掲載は2006年12、2007年1月号です。」
ってまだまだ先じゃん!
そしてまたまた月日が流れ...
2006年7月 やっとインタビューのメールが来ました。
日系人ビーズアーティストのティナ 小山さんがインタビュアーだと言うので、
「やった!日本語オッケー?」と思いきやメールの最後にローマ字で
「NIHONGO WAKARIMASEN. GOMENNASAI(日本語分かりません。ごめんなさい)」
って書いてある...
「ま、いいか。日本語で私が答えて主人に英語で書いてもらおう...」
って感じで、昨日日本語でインタビューに答え主人にバトンタッチしてしまったのです。(よろしくー)
あとは、野となれ山となれ。
でも、もひとつお仕事。
「クローズアップするにあたって、本の中から何か1点家具のレシピを掲載したいので、英語に直してお送り下さい。締め切りは8月1日です。」
...はい、がんばります...
英語に直すの大変なんですよね...
まだまだ先だと思っていたこの掲載、実はちょうどよかったんです。
っていうのは...
来年夏ごろ「ビーズドールハウス」の英語版の出版が決まったんです。
ちょうど、いいタイミングで宣伝になる。
なんだか、長々と書いてしまいましたがアメリカでお仕事してみた上で気付いたことを何点か。
1.受身では何も始まらない。
2.ビーズ人口も、プロのデザイナーの質も数も日本よりずっと上なのでライバルが多い=なかなか事が進まない=とってもスローである=気長に待て。
3.一旦チャンスが訪れたら、謙遜しないで自己アピールすべし。
日系アメリカ人アーティストは結構活躍しているアメリカのビーズ業界ですが、日本人アーティストはまだまだ進出していないのでこれからどんどん日本人も活躍してくれればいいな。(さめじまたかこさんなどアメリカでも大人気の日本人作家さんもいらっしゃいますが。)
もちろん、私も頑張ります
では、今日も長文にお付き合い下さりありがとうございました。
昨日も暑い1日でした。気温は44℃!
もうとけてなくなってしまいそうです...
昨日ビーズフレンドの作品とレシピを日本に送って、ちょっとほっと一息ついた私ですが、またさらなる締め切りが...
今度のお仕事はアメリカのビーズ雑誌「BEADWORK」のお仕事です。
日本のビーズ雑誌とはちょっとまた違う、アメリカの雑誌のお仕事について今日は書いてみようと思います。
「BEADWORK」に掲載されるのは今度が3回目になります。
1回目は2003年12月・2004年1月号でした。(2ヶ月に1回の発行なんです。)
きっかけは2002年7月、「ビーズdeビーズ1」の取材で訪れたホビーショーでした。
私のつけていたテディベアのネックレスを気に入ってくれた、とあるビーズショップのブースの方が、私のことをBEADWORKのブースに引っ張って行ってくれて紹介してくれ、それを見た通称BEAD BOY のDUSTINが気に入ってくれて掲載が決まったのです。
でも、アメリカの雑誌は出たい人プロの人が多く1年以上先まで掲載予定が決まっているとの事でその後の進行はとーってもスローでした。
色々作品を見せた結果、ペンギンがいいとのことで、ペンギンの作り方を掲載する予定だったのですが、レシピを英語に訳して送った後、「アメリカ人にはちとややこしすぎる。クローズアップ記事に変えて欲しい。」とのメールが...
英語のあまり得意でない私に代わって、主人がライターになって記事を書いてくれ
無事に掲載されました。(やっちゃん、ありがとう。)
動物モチーフの作家としては初めてアメリカのメディアに掲載されたので、結構反響も大きく、たくさんの読者からメールをいただきました。
そして月日が流れ...
2005年7月に著作本「ビーズドールハウス」が出版されたすぐ後に、著作本を出版社に贈りました。
あわよくば、紹介してもらえないかしら...?と思って。
でも、ずーっと返事がこなかったので「無理だったのかな?」と諦めかけていた2005年12月、「ビーズドールハウスの書評をBEADWORK 2006 2,3月号で掲載したい」というメールがあってびっくり
書評はもちろん編集スタッフが書くということなので、一緒に作品も何点か送りました。
そしてまたまた月日が流れ...無事書評の掲載された雑誌も発売され、
またまた月日が流れ...
気がついたのです。
作品が戻ってこない...
どこかでなくなっちゃったのかな??
そう思った2006年3月のある日、出版社からのメール。
「ドールハウスの作品、見ました。とても興味深いので、今度クローズアップしたいです。つきましてはプロのビーズ作家兼ライターさんからインタビューを受けてください。」
なーんだ、なくなったんじゃなくって今頃見たのね!
ってなわけで、3回目の掲載が決まりました。
「掲載は2006年12、2007年1月号です。」
ってまだまだ先じゃん!
そしてまたまた月日が流れ...
2006年7月 やっとインタビューのメールが来ました。
日系人ビーズアーティストのティナ 小山さんがインタビュアーだと言うので、
「やった!日本語オッケー?」と思いきやメールの最後にローマ字で
「NIHONGO WAKARIMASEN. GOMENNASAI(日本語分かりません。ごめんなさい)」
って書いてある...
「ま、いいか。日本語で私が答えて主人に英語で書いてもらおう...」
って感じで、昨日日本語でインタビューに答え主人にバトンタッチしてしまったのです。(よろしくー)
あとは、野となれ山となれ。
でも、もひとつお仕事。
「クローズアップするにあたって、本の中から何か1点家具のレシピを掲載したいので、英語に直してお送り下さい。締め切りは8月1日です。」
...はい、がんばります...
英語に直すの大変なんですよね...
まだまだ先だと思っていたこの掲載、実はちょうどよかったんです。
っていうのは...
来年夏ごろ「ビーズドールハウス」の英語版の出版が決まったんです。
ちょうど、いいタイミングで宣伝になる。
なんだか、長々と書いてしまいましたがアメリカでお仕事してみた上で気付いたことを何点か。
1.受身では何も始まらない。
2.ビーズ人口も、プロのデザイナーの質も数も日本よりずっと上なのでライバルが多い=なかなか事が進まない=とってもスローである=気長に待て。
3.一旦チャンスが訪れたら、謙遜しないで自己アピールすべし。
日系アメリカ人アーティストは結構活躍しているアメリカのビーズ業界ですが、日本人アーティストはまだまだ進出していないのでこれからどんどん日本人も活躍してくれればいいな。(さめじまたかこさんなどアメリカでも大人気の日本人作家さんもいらっしゃいますが。)
もちろん、私も頑張ります
では、今日も長文にお付き合い下さりありがとうございました。
そんなポイントアドバイスして、他のアーティストさんを応援出来るなんて、とっても素敵
でもー、大変そうなのねー。
英語が出来ないと無理だわねー。
すごい、すごーい!!
そんな大変なアメリカ雑誌に、何度も掲載されるなんて、素晴らしいわっ
頑張ってくださいね・・・・。
でも、言葉があまり出来なくってもアメリカで活躍されている方は、各分野に結構いらっしゃいますよねー
私もそのようになりたいものです。
アメリカってチャンスは誰にでも平等にある国だなーと思いますよ。