-  雑 空  - 

晴☆雨☆曇⭐︎にゃー

地震 復旧

2011-04-05 | 
今日、ガスが復旧。

先日の点検は大阪ガスの皆さん、今日の開栓は静岡ガスの皆さん。

ありがとうございます。






午後、会社から連絡。

自社倉庫・関連倉庫・納入先店舗の片付け作業から始め、

何人出勤できるか確認後、行き先を調整し後日連絡とのこと。



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地震 瓦礫

2011-03-28 | 


地震後初めて職場に行ってみた。

行ってどうなることでもないが...。

近付くにつれ埃っぽい。

道路横には、路上に残されたままの車が撤去され、二段三段に積み上げられ延々と続く。

何台あるのだろう?

路上の車両・瓦礫はほぼ撤去されていたが、歩道の外側にはまだまだ多くの車が、ボコボコに潰れた車が何台も残されている。

飛行機(プロペラの小さいやつ)まで、車に混じっている。

職場に入る枝道には、大型の重機とダンプが入り瓦礫の撤去中。

よって中には入らず、近くに車を止め暫し眺める。

海水と油の混じった臭い。

田んぼ・畑だったところに入った水は未だに引かず、はるか遠くまで続く。

そこを埋め尽くしていただろう瓦礫は道路の両脇に上げられている。

ほとんどの電柱は鉛筆を折ったように、真ん中からポキッと折れている。





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地震 明日

2011-03-23 | 
地震直後、電気は1週間、水は2週間、ガスは1ヶ月で復旧と見ていたが、幸いにも水は貯水槽にまだ幾分残っている様子。
電気は翌々日の夕刻に復旧。
ガスは全く見通し立たずの報だったが、今月中に復旧可能の見通しが立ったとのこと。


給油待ちの車列の最後尾が見えない。


カミさんは今日から店の営業再開。
生きるか死ぬかの生活には必ずしも必要なものを扱っているわけじゃない。
が、同業で店が水没した人、自宅を失った人もいる。
すぐに再開できるだけでも幸いだろう。


俺の職場までの道は、まだ途中から先へは行けないもよう。
指定車両のみか、瓦礫が残っているのか、未だ冠水か?
倉庫1Fは水没、2Fは大破の状態。
非常灯まで一瞬で消えたのはケーブル類も全て破戒されたのだろう。
いつ再開できるのか。
自宅待機が続くのか、契約解除か?




時間が経つにつれ、自宅に戻った者、避難所にいる者...。
安否の確認はほぼ出来た。
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地震 

2011-03-23 | 
地震当日夜から。

余震が続くが家はあまり揺れない。
が、眠れない。

幸い、非常持出袋のほかにカセットコンロ2本、キャンプ用ガス2個と石油ストーブがあったため(細心の注意を払いながら)寒さは凌げた。
土鍋でご飯を炊き、おにぎりを作っておく。
朝一個、夕一個づつ。
正月に実家から送られ冷凍しておいた餅を自然解凍。

灯は大き目の懐中電灯(サーチライト)大と中と小の3個。
キャンプ用の虫除け缶入りキャンドルもあるが...。
懐中電灯(大)は普通の電球の為消費電力が多く、一晩で電池切れ。
LED球にしておけばよかった。
残りの2個もいつまで持つか...。

暗闇に灯が一つあれば、小さな灯でも一つあれば、天と地。

翌朝スーパーに出向く。
中を覗くと天井が落ち床一面に商品が落ちている。
営業はしないだろうと思いつつも駐車場で待つと、8:00頃から店頭で”今、出せるものだけ”の販売が始まった。
水、飲料、食パン、菓子パン、カップ麺、袋ラーメン、少しの菓子類。
残念ながら、乾電池は店の棚から出せない状態らしい。
水は当面間に合う、菓子類は今は必要ない。

食パン2個と袋ラーメン1個、カップ麺6個を購入、家の食材を考えれば3~4日は持つ。


帰りは、途中海が見える場所があるため、墓地公園側を回って家に向かう。
海の方角、石油タンクからの大きな煙が2本見える。
ラジオに耳を傾けるが詳しい状況は伝わらない。
海沿いは壊滅状態ということだけは確かなようだ。

夕刻、携帯のバッテリーはまだ少し残っていた。
が、いつの間にか”圏外”の表示。
基地局がダウンしたらしい。
翌朝には近くの公衆電話すらダウン。

ラジオでは”Twitter”やら”Facebook”で云々言っているが、電気が無ければ全く使えない。
車から携帯に充電出来ても、基地局がダウンしている状況では全く意味が無い。




通電後、妹に電話。
あまり電話をすることはないが、声を聴いて安心したのか電話の向こうで泣いていた。
メールは受けたものの、空港を襲う津波の映像を見て声が出なかったという。
勤務先の倉庫は、空港ターミナルから南へ直線で1km。
衛星写真で見ても完全に水没(冠水)していた。








昨日22日にスーパーに買い物へ。
長い行列に並び店内へ。
生鮮品はほとんど無い。
必要最小限の物を購入。
ついでに地元資本の食料品店へ立ち寄ってみる。
行列も無く、期待せずに店内へ。
野菜、果物、肉、魚、酒類、(卵・乳製品は無し)普通にそろえてある。
在庫か山形ルートか知る術もないが豊富さに驚く。
ここでも最小限の購入で済ます。


勤務先倉庫周辺には、生協・イオン・コンビニ各社の物流倉庫が立ち並び、全て被災・ほとんど機能麻痺状態。
大手スーパーよりも、地元資本・地元商店街の方が小回りが効く分入荷は早いのかも。





原発周辺の野菜。

すぐに影響の無いレベルなら、首都圏でいらないのなら、こっちに回して欲しい。
子供たちには食させたくないが...俺なんて煙草は吸うし、もうすぐ齢半世紀を迎える。
20年30年先の心配より...今、食いたい。

モノを選べる幸せ。
今、本当に必要なものは何か、皆、一度考えておいて欲しい。
またどこかで、この日が絶対に来るということを知って欲しい。
TVの中の映像が、どこでも起こりえることだと。




風は冷たいが散歩に出かける。
裏の墓地公園。
臨時の安置所だろうか?
管理棟前の駐車場に、大きなプレハブが2棟建設中。


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地震 七日

2011-03-18 | 
ちょうど今、あの揺れから七日が過ぎた。


昼過ぎ、会社のOさんから確認のTELがある。

同僚・Sさんは波から逃れて無事だったが、残念ながら家族の方が...。

また、一人の同僚の安否が掴めていないらしい。



海沿いに住む親戚・友人。

まだ全員確認できていない。

絶対避難している。

必ずいる。

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地震 安否

2011-03-17 | 
今日になって、親戚・知人から続々と連絡がある。

無事が確認される。

が、まだ確認に至らない人も...。
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地震

2011-03-16 | 
11日、いつものように5:45家を出る。
7:00からの作業、1F.2F共に山積みにされた荷物を見つつ
”今日も残業か...。”などと思いつつ動き出す。

10:00過ぎから振り分けた荷物をエレベーターで1Fへ降ろし、かきだす。
作業は順調に進み”18:00には終わりそうかな”などと考える。

14:30の休憩後、Oさんが交代してくれる。
Oさんは荷物と一緒にエレベーターに乗り1Fへ。
俺は次に降ろす荷を集めようと2、3歩 歩き出したところ、あちらこちらで悲鳴が上がる。
14:46 地震発生。



左右に大きく揺られる。
みんな、作業台の下にもぐる。
もう、悲鳴など無い。
防炎ガラスが横に飛んで落下、床に落ちて粉々に砕ける。
積んだ荷物が崩れる。
明かりが消え、非常灯もすぐに消えた。
柱周りの天井が、柱にえぐられ一瞬で大きな穴が開く。
天井パネルが落ちる。
動けない、ただ見ているだけ。

長い揺れがおわり、みんな呆然。
外に避難させた後、Kさんと共に二人残って最後の確認。
俺は通常口、Kさんは反対側の非常口から避難する。
エレベーターから”ドンドン”と音が。
Oさん。
外側の扉は開けられたが、内側の扉が開かない。
”ここはいいから早く外へ出ろ!”
の声に従い、休憩室を確認後外に出る。
点呼確認中、また大きな揺れが来る。

携帯で大津波警報を知る、この辺は最大6m。
この辺に高台は無い、高い建物も無いが海岸線から1Kmほどは離れている。
6mと言われても正直判らない。
どんな大きさなのか、本当に来るのか、ここまで来るのかどうか、判らないというのがそのときの感じ。

家が気になる。
カミさんの店は新しい建物じゃない。
陶器・ガラスが崩れたら逃げ場は無い。
携帯は繋がらない。
メール送信のみ。


皆同じ気持ちだったろう。
点呼確認終了後、正社員以外は次々と(家に戻るのだろう)車を出す。
Oさんが気になり残っていたが、支店長の”ここはいいから早く離れろ”の言葉に車を出す。


信号は消えているが、車は全く進まないわけではない。
ノロノロと確実に進んでいる。
橋に10cmほどの段差が出来ている。
5kmほど走り、国道を超える陸橋を通過したところで、ラジオから”空港に津波来襲”の一報が流れる。
”まさか!”

信号は消え、道路の所々に段差が出来ている。
倒壊している家屋は見当たらない。
倉庫を出て2時間。
何度か電話するが繋がらない、車は進まない、雪が降り出す、暗くなる。
カミさんから”大丈夫です”とメール。
見たとたん体の力が抜けていく。
ラジオでは各地の津波来襲を繰り返し報じている。
街路灯も全て消え、車のライト以外の灯は無い。
余震で車が揺れるが全く怖さは無い。
もう、無い、不思議な感じ。

3時間以上かかって家に着く。
家に入るとカミさんが浴槽に水を溜めていた。
家具は...朝のまま。
お寺の御札が落ちていた以外全く朝のまま。
本当に地震なんてあったのだろうか?



ラジオを聴き、大変な事態になっていることを聴くが詳しいことは判らない。
停電で電話不通、携帯も繋がらない。
実家からは車中でメールを受信。
所沢の妹からは発信から3時間遅れでメールが到着。
後は全く不通。
カミさんの親戚筋は沿岸部に多い。


静か...余震以外は。



翌朝、新聞の写真を見て驚く。
一面に空港を襲う津波の写真が出ている。

13日夕、電気が回復。
地震後はじめて見るTVの画面に言葉が出ない。







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地震 生存

2011-03-14 | 
昼前、本社から安否確認の電話がある。

確認が取れない人が多数いるという。

現場に残った人からは、12日に”避難所に向う”との連絡があったとのこと。

エレベーターに閉じ込められたままの人も無事避難したと。

昨夜、地震後初めて見た空港を襲う津波をみて覚悟した。





以前住んでいた川向こうの街は瓦礫の山。

見慣れたはずの街が町が何処にも無い。





沿岸部に住む親戚多数、友人多数いまだ安否不明。







午後、3番館の水道管修理の手伝いに出向く。

スコップとツルハシを手に穴を掘る。

疲れていても、身体を動かしていた方がいい。



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地震 津波

2011-03-14 | 
5分遅れていたら流されていた。


停電回復後、TVの画面。


自宅は本一冊傾かず、十数キロ離れた場所の惨状がどこか遠くの出来事の様。






倉庫が波打ち、荷物が崩れ、ガラスがとんで、天井がバラバラ落ちて…。





海沿いの道を自宅に向かったみんな、生きていろよ!



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