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アジアカップ予選 vs イエメン

2006-09-06 | FOOTBALL
 現地時間6日(以下現地時間)、AFCアジアカップ2007予選・グループAのイエメンと日本の一戦が行なわれ、日本はロスタイムの我那覇の決勝弾で1対0と勝利を収めた。
 標高約2300メートル、さらにデコボコのピッチという過酷な環境での戦いを強いられた日本。決定的なチャンスをつかむシーンもあったが、どうしてもゴールを奪えずに時間だけが過ぎ、引き分け濃厚かと思われたが、迎えたロスタイムに我那覇がゴール前の混戦からボールを押し込んで、貴重な決勝弾を挙げた。

苦しい試合をモノにして1-0で日本勝利!後半ロスタイムに坪井のクロスを巻がヘッドで落としたボールを我那覇がゴールの左に流し込み代表初ゴ-ル!
”オシムジャパン“アウェー初勝利!取りあえず予選突破は・・・。

ヒデ引退の裏側

2006-09-06 | FOOTBALL
 ロイター通信は5日、日本協会の川淵三郎キャプテン(69)のインタビュー記事を配信した。その中で川淵キャプテンは、W杯限りで引退した中田氏について「中田は他の選手と交流を持つことができなくなっていた。他の選手から無視されることもあり、どうやって意思疎通を図っていいのか分からないと悩んでいた」と明かした。さらに川淵キャプテンは「中田のやり方はうまい方法ではなかった」とした上で「他の選手たちがおとなしすぎたのも問題点」と指摘した。

【中田氏が雑誌で引退真相激白】
 サッカーW杯ドイツ大会・日本代表の中田英寿氏(29)が引退の真相、メンバーとの確執などを激白した。ノンフィクション作家・小松成美さん(43)のインタビューに答えたもので、24日発売の月刊誌「ゲーテ」(幻冬舎)に掲載される。初めて明かされる事実も多く、サッカー選手としての“最後の肉声”は大きな話題を呼びそうだ。

 中田氏が自身の公式サイトで引退を発表したのは3日。列島を揺るがす騒ぎとなり、その理由についてもさまざまな憶測が乱れ飛んだが、小松さんがメールで決意を伝えられたのは3月6日。そこから4カ月をかけての取材で核心に迫っている。

 98年に渡欧。6チームで活躍した中田氏だが、サッカーから離れる自分自身を3年も前からイメージ。理想のサッカーに到達できないもどかしさ。「失望を感じたときに、プロから引退するべきだという考えが浮かんだんだ」と語っている。

 興味深いのは、ドイツW杯日本代表についての言及。「チームとしての中身がない。確固たる芯(しん)がないんだ」と厳しい言葉。他の選手からどう受け止められていると思うか?の問いには「たぶん“うるさい”とだけ。面倒なやつだと思っているんじゃないかな」と話し“浮いた存在”と自覚していたことも明かしている。

 そして指揮官については、露骨な言い回しは避けながら采配への疑問をこんな表現で初めて語っている。オーストラリア戦の後半。「疲れたツートップ(柳沢と高原)をそのまま引きずっても難しい状況だった。“ここで選手交代があったら”と思っていたのは確かだよ」。「おれが代表に来ている間では、全員での戦術ミーティングは(一度も)ない」とジーコ監督の4年間についても触れている。

 世界を2周できる航空券を購入した中田氏の行方はごく一部の関係者しか知らないが、「引退に関しての肉声はこれが最後」とゲーテ編集部。小松さんは中田氏がペルージャに移籍するまでの軌跡をつづった「鼓動」(98年)の続編を秋に出版する予定。
[ 2006年07月22日 ] (スポーツニッポン)

「浮いていた」のは、傍目からも想像出来たが・・・。
実際に目にするとガッカリしちまうな~しかし、これが現実。