久々の三島を行く。━其之壱━からの続き
向かいが三島大社なので、向かいます。
三島大社
創建は、不明だか古くより三島の地に鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。
社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。
中世以降、武士の崇敬極めて高く、1160年(永暦元)伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏を再興することを祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。
腰掛石
1180年(治承4)5月源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折、腰を掛けて休息したと伝えられる。
左は、頼朝。右側は、北条政子が腰を掛けたと言われている。
芸能殿
安政の東海大地震の復旧工事で神主矢田部式部盛治により、1868年(慶応4)2月に完成した旧総門で、1930年(昭和5)の伊豆大震災後、現在の総門が落成したため、戦後一部改造の上、芸能殿として保存している。
舞殿
古くは祓殿と呼ばれ神楽、祈祷を行ったが後には主として舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった。
1866年(慶応2)の再建。
本殿
本殿は、流れ造で切妻屋根、棟には千木・鰹木をつけている。
拝殿は、入母屋造で、前面には三間の向拝をつけ、正面に千鳥破風と軒唐破風がつく。両殿の間には軒下に納まるように相の間がつくられている。この建築の様式は権現造といわれている。全国的にみて拝殿の大きさな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なものである。
三嶋大社御朱印。
ちなみに、三島大社は伊豆国一之宮。
また、一つ一之宮を巡りました。
三島大社を後にして、市内をぶらぶらと。
市内は富士山からの伏流水が湧き出ていて、湧水地があり、楽寿園小浜池を源流とする源兵衛川もその一つ、駅から近い源兵衛川沿いを歩いて見ました。
源兵衛川親水公園
源兵衛川の由来は、河川工事に深い関わりをもった寺尾源兵衛からとったものといわれています。
川端
家から岸辺に張り出している部分は、川端と呼ばれているもので、洗い物など生活に使っていたものです。
これは、共同の川端です。
突き当たりに見える緑は、源流のある楽寿園です。
この後は、駅に向かって帰途に着きました。
久々の三島を行く。━おわり━
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三嶋大社 http://www.mishimataisha.or.jp
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