ニューヨークに行って、帰ってきて1年が経ちました。
早っ!!
確か、3月10日か11日に帰国しました。
ニューヨークで通ってた語学学校(英語の勉強)の授業。そこにはイタリア人、ブラジル人、韓国人、中国人、様々な国の生徒がいました。
「自分の意思ではなく、周りの環境によってそうせざるを得なかった」という概念のイディオムかなんかの勉強をした時に、私が「地震が起きて、電車が止まって家に帰れなくなるところだった」という話をしたら、ある韓国人のクラスメイトが「日本人の生徒のほとんどの子が『地震』の話をする」と言ってました。
それだけ、日本という国は、地震、ないしは天災と背中合わせで生きているんですね。
そんな体験が、日本でもゴスペルが歌われる背景なんじゃないかな?と、最近思ってます。
何物にも変えられないものが奪われるという体験からのなにかが。
実はさっきまでそのことをブログで書こうと思ったのですが、長くなった上に、ちょっと生半可な感じでは書いていけないような気がしてきたので、またいずれ書こうと思います。
現代歌われているゴスペルソングの原点は、アメリカに奴隷として連れてこられた黒人が歌い始めました。日本は戦争や、天災でたくさんの人からいろんなものが奪われました。
奪われたものは厳密には違うかもしれませんが、でも人間としてそこから生まれてくる思いや言葉があるならば、もしかすると、日本発信の世界的なゴスペルソングができるのかも!!というのが最近の夢の一つです。
写真は去年ニューヨーク、グランドセントラル駅で開かれた、東日本大震災の展示で見かけた短冊。
「DAi Jo Bu!」大丈夫!
日本へのメッセージですね。ありがたいものです。
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