ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

死との対面

2009年10月21日 | 文学

 安岡章太郎のエッセイ「死との対面」を読みました。
 この人の小説は、中学生の頃、熱心に読みました。洒脱な作品が多いな、と感じました。
 現在、90歳ちかくですが、まだ現役ですね。たいしたものです。
 「死との対面」では、老作家の徒然の物思いが、語られています。私の倍以上生きている人の言葉には、重みがあります。
 様々な病気を克服し、長生きするにつけても、旧友が次々亡くなっていく、いよいよ次は自分の番だ、という覚悟のようなものが感じられます。
 猫だって長生きすれば猫又になるとか。それなら作者はもはや仙人の域でしょう。

死との対面―瞬間を生きる
安岡 章太郎
光文社

ハラスメント二次被害

2009年10月21日 | 精神障害

 ある所で行われたハラスメントに関する研修会の資料を手に入れました。
 そこに書かれた様々な事例を前にして、不覚にも、涙を禁じえませんでした。

 一次被害として、私は支社長からパワーハラスメントを受けました。これは泥棒や殺人とちがい、それだけで犯罪を構成する要件を満たしているわけではありません。受け取り方によっては、なんとも感じない者もいるでしょう。しかし私は、これに激しい屈辱を感じ、ついには精神疾患に陥りました。

 二次被害は、もっと甚大でした。
 労務担当課長及び部長に被害を訴えたのに、もみ消されました。挙句の果てには、部長から口外しないように説得されました。
 やむを得ず、私は弁護士を立てて話し合い、百万円の損害賠償と謝罪文を受け取りました。しかし謝罪文というのは、私が作成したものです。支社長はそれに判をついただけで、心からなる直接の謝罪は、ついにありませんでした。あろうことか、支社長は、叱咤激励の意図であり、ハラスメントではない、とか、自分はそのような人間ではない、などと、醜い言い訳を繰り返しました。
 また、支社長を取り巻く幹部は、支社長よりも、まるで私が悪いかのような態度を、言外ににおわすのでした。

 これらの対応が二次被害となって、今も私の心を乱します。
 加害者はすぐに忘れても、被害者は一生涯、忘れることなどできないのです。

 様々な事例から考えて、支社長には停職六ヶ月程度の処分が下されるべきですが、ついに、お咎めはありませんでした。支社長のみならず、本社の対応もまた、私を傷つけました。

 今となって私ができるのは、支社長及び本社を呪詛し続けることだけです。

 できることなら、六条御息所のように、自覚のないまま生霊となって、加害者に祟りをなしてみたいものです。

パワーハラスメントの本