私は平成16年に精神病を発症して以来、精神障害者の自助グループで、じつに様々な症状を持った当事者に会ってきました。
病名はうつ病であったり統合失調症であったり双極性障害であったり社会不安障害であったり、色々ですが、共通しているのは、医学の力を借りなければこの世をまともに生きていくことが極めて困難であると感じていることだったと思います。
ある症状の当事者を私は滑稽な悩みだと思い、きっとその人は私の悩みを滑稽だと思ったでしょう。
しかしそれでも自助グループに来るのは、滑稽に見えながら、当事者は真剣に苦しんでいることが分かり、自分のことはさておき目の前のこの人の苦しみを軽減してあげたい、と心底思うからです。
16世紀ヨーロッパの精神病の症例集に、滑稽というも哀れな症状の患者が例示されています。
小便をすると自分の尿で町中が洪水になると信じ、小便を我慢している男の話です。
医者は神父や町長ら町の有力者を呼んで、彼の小便で洪水が起きるはずがないことを懇々と説明しました。
しかし彼は頑として納得しないのです。
そこで医者は一計を案じ、町に大火災が起きたことにして、町の警報をすべて鳴らすと、例の男に、ひどい大火事だから、あなたの小便で火を消してください、とお願いしたのです。
男はそれは大変だとばかり、たまっていた小便を思いっきり放尿しました。
結果、男は自分の思い込みが誤りであったことを知り、普通に生活した、ということです。
これなどは、現在でいえば強迫神経症に分類されるんですかねぇ。
強迫神経症で最も多いのは、ガスの消し忘れや戸締りの不備などが気になって何度も確認せずにはいられず、ついには外出できなくなってしまう、という症例で、私の知り合いにもいました。
初老の奥様で笑顔が素敵な方で、本人が悩みを訴えるまでとても当事者には見えませんでした。
精神病患者というと閉鎖病棟に入院させられて奇声を発したり、凶暴な行為をする怖い人たち、というイメージがあるかもしれません。
そういう人もいますが、圧倒的多数の精神障害者は、生きづらさを感じながら、どうにかこうにか社会と折り合いを付けて生きるべく真面目に努力しています。
そしてまた、精神病というのは、ちょっとしたことで罹患します。
ストレス過多だったり、受け入れがたい不幸が重なったり、ふと気になったことが頭から離れなくなったり。
それは人間の脳が示す、ストレスや不幸や気になったことへの防衛の結果と考えられます。
それが過剰であれば病人になり、適度であればタフなやつ、と言われるのです。
この境目はじつに微妙です。
誰でも超える可能性を持っています。
いずれ精神科と脳外科とが融合した新しい診療科ができて、精神障害者を救ってくれるものと期待しています。
![]() |
こころの科学 144号 (144) 特別企画=こころの悩みに強くなる |
原田 誠一 | |
日本評論社 |