最近出生前診断とやらで、胎児のうちに遺伝的な病気や障害の有無がかなりの程度まで判定できるようになり、そのために異常がみつかった子を堕胎する例が増えているやに聞きました。
さらには着床前診断というのがあって、受精卵のうちから遺伝子情報により、将来の遺伝病などのリスクが分かるとか。
その場合妊娠しないという選択肢があり得ます。
障害児を育てる可能性が高いと分かった時、親が堕胎の判断を下してしまうのも理解できますが、なんとも嫌な感じです。
ナチス・ドイツが行った優生学思想に基づく精神障害者や同性愛者の大量虐殺を思い出します。
2000年、ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈博士は、教育改革国民会議で、いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をする形になって行くだろう、と言って物議を醸しました。
これは要するに遺伝的要素だけでエリートを選別し、特別な教育を受けさせようということで、ナチの優生学思想と根本で通じるものです。
古くはプラトンも「国家」で、優秀な男女を結婚させて優秀な子どもたちを支配階級として教育し、その他大勢は支配されるがままになる羊たちの幸福を与えることが理想だと語っています。
これもまた、優生学思想ですね。
そして2003年、ヒトゲノムの解析終了が宣言されました。
万物の長であるべきヒトの遺伝子の数は、イネよりはるかに少なく、ウニとほぼ同数でしかも70%も配列が一致したとかで、遺伝子レベルではヒトは単純な生き物であることが判明しました。
このヒトゲノム解析の応用はこれからで、医療や教育に大きく関与すると思われます。
その時、疑似科学と決めつけられ、誕生からわずか80年あまりでその役割を終えた悪名高い優生学が蘇る可能性は大であると考えます。
蛙の子は蛙。
優秀な親から優秀な子が生まれる確率が高いことは分かり切ったことです。
ただそれを、公的資源とだけみなすかどうかに、今後の優生学がナチと似た道をたどるかどうかの鍵があるのではないでしょうか。
公的資源とだけ考えれば、遺伝子操作でも、堕胎でも、優秀な者同士の強制的な婚姻でも、なんでもできると思います。
しかし少なくとも現代社会においては、人的資源と言う言い方はありますが、それは付随的なもので、一人一人の人権を重視することが当たり前になっています。
今後子を産み育てるということに対する考え方や生命倫理がどう変化していくか、私には想像もつきません。
SF小説のように、外見も知能も体力も遺伝子操作によって親が望むとおりに産み分けることができるようになるかもしれません。
まさしくデザイナー・ベビーです。
あるいは生まれる前から、どんな病気で何歳くらいで死ぬだろう、と分かってしまうかもしれません(事故や犯罪は除く)。
遺伝子組み換え野菜だとか、早く走る馬だとか、狩りに適した犬だとか、美しい鯉だとか、人間は他の生物に対しては平気で優生思想に基づいた改造を繰り返してきました。
ヒトにたいしてそれができる技術を手に入れたとき、人間は必ずそれを使おうとするに違いありません。
試験管ベビーだとか臓器移植だとか、新技術を手に入れた当初は議論をよんでも、結局はそれを使ってきました。
劣等とされた人々を殺害するような積極的な方法は採らないにせよ、より知能高く、より健康なヒトを生み出すようにする消極的な優生思想の実践は行われるでしょう。
その時人々はどんな理屈をつけ、どうやって自らを納得させるのか、私はなんだか不安なのです。
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