昨日はブラック・フライデーのセールを行っているということで、そごう千葉店に出かけました。
以前、千葉駅近くにはそごうの他に三越が在って、三越にばかり行っていたのですが、閉店して跡地はタワーマンションになってしまいました。
以来、不本意ながらそごうに通う羽目になりました。
ブラック・フライデーのお目当てはダウンのコートを買うこと。
昨年、カシミアのコートを大枚17万円をつぎ込んで購入し、これを愛用していたのですが、本当に寒くなる真冬はダウンのほうが良かろうと思い、買いに出かけた次第です。
愛用のスコッチハウス、ブルックスブラザーズ、ニューヨーカーなどいくつかの店舗を見て回り、結局最初に見たスコッチハウスで濃紺のダウンコートを購入しました。
15%OFFで8万円ほど。
カシミアに比べると安いです。
その後本屋に立ち寄り、最近お気に入りの桜木紫乃の小説を2冊と、珍しく城山三郎の晩年の手記を購入しました。
早速、今日の午後「そうか、もう君はいないのか」という城山三郎の手記を読みました。
学生時代に出会った当時女子高生の奥様との初恋が語られ、結婚生活、そして奥様が癌に倒れて亡くなるまでを描いたものです。
城山三郎と言う人、高名な作家ですから、名前は知っていましたが、経済小説を書く人、という印象が強く、これまで読まずに来ました。
以前、江藤淳の「妻と私」という手記を読み、妻に先立たれた夫の心境というものに深い感銘を受けたことから、今回手に取ったわけです。
妻を天使とも妖精とも呼ぶ作者。
妖精は天真爛漫でとても魅力的な女性だったようです。
喧嘩一つしたことがなく、幸せな結婚生活を送りながら、晩年妻に先立たれ、自らが亡くなるまでの7年間苦痛とともに過ごしたことが分かります。
私は同居人に深く依存し、喧嘩もしたことがないので、先立たれることが何よりの恐怖です。
私が恐怖心をいだいているからか、私は同居人が先立つのではないかという不安を絶えず感じています。
50代半ばでそこまで怖れることはないのですが、怖ろしいことこそ起こり得る、という気がします。
SEKAI NO OWARIに「眠り姫」という、恋人が深い眠りに落ちてしまうことを怖れる男の心情を歌った楽曲があります。
これを聞くと、またもや同居人の死を暗示させらているような気がして慄然とします。
依存しきったパートナーに先立たれることを想像するのは、恐怖でありながら、どこか甘美なものでもあります。
自分を悲劇の主人公に置き換えているかのごとくです。
私と同居人、同世代ですから、どちらが先に亡くなってもおかしくありません。
子供がいない私たち、どちらが先に亡くなっても、残された方は一人になってしまいます。
もちろん親類縁者や友人はいますが、そんなものは頼りにならないし、また頼ってはいけないと思います。
城山三郎亡き後、書き散らされたいくつもの章に別れた雑文を編集者が丹念につなぎ合わせた作品だそうです。
妻の思い出を描きながらそれを出版したくなかったかのごとくで、この手記を読むことに他人の密やかな生活を覗き見るような背徳感を覚えます。
私たち夫婦はどういう最後を遂げるのか、誰にも分からないことながら、想像せずにはいられません。