昨日・今日と続いた漢籍文化の国際シンポジムが終わりました。
日本・中国・台湾などの漢籍の研究者が集まって、200名程度の聴衆の前で発表や討論を繰り広げ、私は映写室からそれをぼんやりと眺めていました。
日本人研究者と中国人・台湾人研究者との顕著な違いは、持ち時間に関する感覚。
日本人研究者はみな持ち時間を守りますが、中国・台湾の先生方は、10分や15分、超過して平気です。
中には40分も超過した強者がいました。
もともとの持ち時間は20分なのに、1時間も熱弁を奮うのだからかないません。
しかも馬鹿でかい声で。
高感度マイクがあるのだから、大声を張り上げる必要などありません。
日本人は時間に精確だとよく言われますが、このシンポジウムを見ていて本当にそうだなぁ、と思いました。
それと、日本人研究者はパワー・ポイントを使うのに対して、中国・台湾の研究者はワードを使うのが気になりました。
言うまでもなく、ワードはいわゆるワープロ・ソフト。
文章を書くためのソフトです。
パワー・ポイントはプレゼンテーションを効果的に行うために開発されたソフト。
見る側からはもちろん、発表する側からしてもパワー・ポイントのほうがやりやすいのは明らかです。
私も何度かパワー・ポイントを使ってプレゼンテーションをしたことがありますが、パワー・ポイントで資料を作る段階で、いやでも重要なことは何か、強調したいことは何かを考えなければ作れないようなソフトになっています。
プロジェクターで映し出された画像がワードで作られたものであることを見た瞬間、話を聞く気を失います。
長々書かれた文章を、ただ読み上げているだけだからです。
聞く者が退屈しないように工夫しようという意図がまるで感じられません。
私の職場では大学院教育も行っていますが、院生が研究発表する基礎演習という講座があり、ここでは繰り返し、持ち時間を守ったうえでどれだけ聞く者を納得させられるかということが徹底して教え込まれます。
中身が良くても持ち時間を超過すれば、容赦なく、厳しい講評が浴びせられます。
見ていて気の毒なほどです。
中国や台湾の人が時間にルーズだとは聞いていましたが、海外で発表するような大物学者にしてからがあれでは、他国からの信頼は得られますまい。
時間を守るとか、約束を守るとか、聞かれたことにはすぐ答える、答えられなければ何日以内に回答すると言ってその期日内に必ず回答するなどの小さなことを積み重ねていかなければ他人から信頼されることはないと思います。
数にまかせて中国の常識だけで世界を渡っていこうとしているように見える中国。
でもそんなことを続けていけば、紛争の種を蒔いて歩いているようなものですよ。