昨夜、村上春樹の最新書下ろし長編「街とその不確かな壁」を読み終わりました。
小説を読むのはじつに久しぶりです。
私は自身をハルキストだとは思っていませんが、ほとんどの著作を読んでいるので、その気はあるのかもしれません。
数日前のブログで、この作品は2つの世界が同時並行的に語られ、最後に融合する、変形的なメリー・ゴーランド方式を取っており、初期の名作「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」との類似を認めたが、読む進むうちにそうではないと思った、という意味のことを書きました。
しかし読了して作者自身の手による後書きを読んだところ、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を意識して書いたことが明記されていました。
私はこの重層的で魅力的な物語を高校生の頃に読みました。
その頃、ぼんやりと将来は物語を紡ぐ人になりたいと思っていたのですが、この作品を読んで、こういう物語を書ける人がいるのなら私が物語作者になる意味はないのではないかと思ったことを覚えています。
それほどの衝撃でした。
最初期の「風の歌を聴け」・「1973年のピンボール」の2作品こそ私小説的な趣を醸し出していますが、3作目の「羊をめぐる冒険」以降、この作家は一貫して幻想的で不思議な物語を書き続けています。
「街とその不確かな壁」ももちろん不思議な物語です。
高い壁に囲まれた街に迷い込み、夢読みという職業に就いた私と、現実世界を生きる図書館長を務める私の物語が語られます。
そして現実世界を評して、私に「この世界は日々便利に、そして非ロマンティックな場所になっていく」と語らせます。
印象深い一文です。
印象深い文章は他にもたくさん出てきますが、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」ほどの魅力は感じられません。
筆の衰えというわけではないのかもしれませんが、スリリングではあるものの、微妙に面白くないのです。
一つには私が年を経て瑞々しい感覚を失ったせいもあるでしょうし、この作者があまりにも書くことに慣れてしまったということもあるでしょう。
村上春樹はもう10年くらい前からノーベル文学賞を取るのではないかと期待され続け、毎年今年は駄目だった、ということを続けています。
ノーベル文学賞にふさわしい作家だと思いますが、ノーベル文学賞は商業的に成功するともらえない、というジンクスがあるそうですから、もう無理かもしれませんね。
いずれにしろ、久しぶりに幸せな読書体験をさせてもらいました。