昨日は4週間に1度の精神科通院日でした。
寛解状態が15年以上も続いている身であれば、毎度愚痴をこぼし、毎度同じ薬が処方されるという仕儀に相なることは仕方が無いと思います。
精神科クリニックが千葉駅近くにあることから、予約した診察時刻の2時間前にそごう千葉店に寄りました。
通勤用のビジネス・バッグを購入するためです。
今使っている物は10年以上使ってすっかりくたびれてしまったからです。
私は鞄には興味がありません。
鞄には何十万円も何百万円もする高価な物が存在するくらいの知識はありますが、鞄は中に必要な物を入れて持ち運ぶのがその役割であって、それを果たせてまぁまぁ見映えが良ければ何だって良いだろうというのが私の考えです。
で、2万円以下の安物を購入。
それでも鞄に金をかけたく無い私としては痛い出費です。
懐中時計は何十万円もするものをいくつも買っているのに。
通院前、東大教授で生物学者の小林武彦なる人物が書いた「生物はなぜ死ぬのか」という新書を読みました。
そのタイトルから哲学的な内容を想像したのが馬鹿でした。
著者は生物学者です。
自然科学の限界は、物事がどのように出来ているのかを解明できても、なぜそのように出来ているのかは分からないとして最初から問題にしないということだと思います。
どのようにだけであって、何ゆえにはありえません。
そう考えるとこの新書のタイトルは根本的に間違っているとしか言えません。
ぐだぐたとあらゆる生物の在り様が語られ、死ぬことによって生物多様性が保たれるだとか、捕食された生物は捕食した生物を生かすことが出来るだとか、生物の総量は変わらないだとか、当たり前のことしか書いていません。
考えてみれば当然のことです。
なぜ死ぬのかなんて、我々はどこから来てどこに行くのかという問いと同義であり、それは全人類永遠の謎です。
過去、多くの宗教家や哲学者が様々な解釈や回答を残しましたが、私を納得させるものなど一つもありませんでした。
多分特定の宗教を盲信的に信じる以外、この問いに答えは無いのではないでしょうか。
しかしそんなこと私には出来ないし、圧倒的多数の日本人は出来ないものと思います。
この新書は生物はなぜ死ぬのか分からないということを実感させるだけの内容になっています。
タイトルにだまされてしまいました。