長い一週間の勤務が終わりました。
金曜日の夕方ほど嬉しい時間はありません。
私が20代の頃、バブルは弾けたとはいえ、躁病のような浮かれた雰囲気が、世間に色濃く残っていました。
当時は花金などと言って、金曜日の夜は弾けるのが良いとされていました。
馬鹿なことだとは思いながら、私も流行りに乗っていました。
今ではコロナのせいもあって、金曜日だからといって何も特別な空気は流れていません。
バブルの頃が異常だっただけで、今は正常に戻ったと言うべきでしょうね。
バブルが弾けて後、わが国は30年にも及ぶ長い停滞期に入り、それは今も続いています。
給料は上がらず、景気の良い話など聞くことも無くなりました。
少子高齢化はますます進み、将来、わが国はどんなことになるのか、また、衰え行く国家を舵取りするリーダー達は、何を目標にするのか、全く分かりません。
漠然とした不安がわが国を覆うなか、国民も、自国の将来が見えずにいます。
この不安の中にあっても、庶民は勤労に励み、金曜日の夜にはわずかばかりの解放感にひたる小さな楽しみを持ち続けています。
それを生活と呼ぶのでしょうね。
庶民の小さな楽しみを思う時、私もまた小市民に過ぎず、日曜日の夜には暗くなり、金曜日の夜は解放感に浸ると言う無限のループにいるようで、それを同じくする同時代の人々すべてを、愛おしく感じます。
同じ泥船に乗った仲間として。
この泥船、近いうちについに沈むのか、あるいは木造船くらいには出世するのか、どうなんでしょうね。
浮かれつつも物思いに沈む、金曜日です。