ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

もう志ん朝師匠の噺は聴かない

2023年06月15日 | 精神障害

 今から思えば、私が古今亭志ん朝師匠の噺を聴くのを止めたことが、私を現実の世界に引き戻すきっかけになったような気がします。

 もう15年も前に、私は精神障害を克服し、職場復帰を果たしたわけですが、当初は腫物扱いで、まともに仕事なんぞさせてもらえませんでした。
 それならばと、私は毎日定時で帰り、仕事も最低限やらなければならないことだけし、後は知ったことではないと、人を手伝おうなんて気も起きませんでした。

 気楽な仕事で定時帰り。
 それでいて満額の給料。

 私は夢の世界を漂っていたのかもしれません。

 そんな時、私は食卓にノートパソコンを置いて、You Tubeで志ん朝師匠の噺を聴きながら晩酌をやるのが楽しみでした。
 そういうことをやって、なおかつ、終業後の時間には余裕があったのです。

 当然、昇進することもなければ、昇給することもありませんでした。
 それでも良いと、考えていました。
 私の場合、職業=病人なのですから、これが精いっぱいだろうと。

 同じ機関に勤める同居人は順調に昇進し、昇給を果たしていきました。
 同居人の役職では出なければならない打合せや会議に、私は出ることを禁じられていました。
 そういう役職に達していないからだそうです。

 気付けば同居人が講師を務める研修に、若い者に交じって聴講生として参加することも稀ではなくなりました。
 そういう職階だからだそうです。

 後輩からも次々と職階で抜かれていきました。

 そういう世界からは引退したつもりの私でしたが、職場復帰して時間が経過し、少しづつ与えられる仕事が正常化していくにしたがい、私は職場という荒波の中で、いつまでも夢に微睡んでいるわけにはいかなくなったのです。

 誰に昇進で後塵を拝するよりも、夢の世界から抜けなくてはならないという予感を覚えた瞬間が、最も悔しい時でした。
 夢から離れれば、私は万年係長の無能なおじさんでしか無いことは明らかだったのですから。

 そして私は志ん朝師匠の噺を聴かなくなり、少しばかり残業をこなすようになりました。
 しかしそれは、是非とも必要な残業であり、私は部下に押し付けて定時帰りしていただけだと思い知りました。

 この時こそ、私が本当に職場復帰を果たした瞬間だったかもしれません。

 実に職場復帰してから11年間が過ぎてしまっていました。

 荒波をプールだと思い込んで、周りもそれを許してくれていたのです。

 それから4年、気づけば私は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く退勤する仕事人間になってしまいました。

 精神障害発症時と異なるのは、落ち込まなくなったこと。
 私はまるで失われた労働時間を取り戻そうとするかの如く、働くようになりました。

 これがどういう結果を生むのかは分かりません。
 しかし、何も変わらないだろうと思っています。
 そんなことをしても、職階が上がるわけでも給料が増えるわけでもありません。
 おそらく頭のおかしい奴がますますおかしくなったと思われるだけでしょう。
 
 夢の世界を卒業して、少しばかり社会の荒波にもまれて、気付けば万年係長のまま退職するのでしょう。

 それでも、精神科医は私の発症から職場復帰、そして現在の仕事、すべてが精神障害者にとってはサクセス・ストーリーだと褒めてくれます。
 小さな精神障害者の世界でのみ、私はその存在を一人前と認められるのです。

 それで良いと思います。
 それで十分です。

 私は私の小さな世界で、私だけに分かる成功を収めたのですから。


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