今日、長崎に原爆が投下されてから77年目にあたるんだそうです。
私の実母は幼いころ長崎で被爆したのですが、齢80を超えてなお、その日のことは鮮明に覚えているようです。
皮膚がただれ落ちてなお絶命にいたらず、黒い幽霊のように歩く人々。
水を欲しがっても、水を飲むとすぐに亡くなってしまうと分かっているため、水をあげられずに忸怩たる思いで、その場をやり過ごす民衆。
大きくて真っ黒な雨が降る中、実母は生き残ったのでした。
現在もいたって元気で、放射能に強い体質であったのかもしれません。
原爆投下から77年ですから、被爆を体験して存命なのは、当時子供であった人々ばかりでしょうね。
20歳で被爆したら、今97歳ですから、成人後に被爆した生存者は数えるほどではないでしょうか。
ほどなくして、原爆投下は現代の問題ではなく、歴史的事実になっていくのだろうと思います。
わが国に投下された2発の核兵器による損害の記憶が、世界の指導者に核兵器使用を躊躇させているのは確かだと思います。
過去最大の核戦争の危機と言われたキューバ危機に際しても、米ソとも、核戦争は免れないと感じながら、政治の知恵でこれを回避できました。
核兵器の怖ろしさを、わが国の惨状を見て記憶していたからこそ、核戦争を回避しえたと言っても過言ではないのではないでしょうか。
しかるに、プーチン大統領は、ウクライナにおける小型核兵器の使用を検討しているやに聞き及びます。
まったく馬鹿げています。
狂気じみていると言っても言い過ぎではないでしょう。
主要先進国は侵略戦争など仕掛けないのが今や常識。
まさか本当に使用するとは思いませんが、戦争が膠着状態に陥り、勝ちを焦った大統領が最後の手段とばかりに核のボタンを押さないとも限りません。
戦争というもの、より多く殺し、より多く破壊したほうが勝つようにできていますから。
そういう意味では、太平洋戦争時、わが国は殺すことも破壊することも十分ではなかったと言えますね。
だからこそ敗れたのです。
誠に残念ですが。
わが国は専制主義国家の中国、北朝鮮、ロシアに囲まれています。
ウクライナの惨状を見れば、これら専制主義国家と戦うわけにはいきません。
彼らを震え上がらせるような強力な軍隊を保持することが、戦争を避けるもっとも有効な手段だと思います。
太平洋戦争の轍を踏まないためにも。