真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

思考空間に種をまく

2012年12月11日 21時12分45秒 | 無思考の時代へ

本当の自分という意識の持ち方を、それぞれの魂を越えたところに置く時期が近づいているかも知れません。

植物の蓮に例えて、ユングのいうそれぞれの顕在意識にある根が魂とすると、さらに根っこが張って繋がっている根全体が全体意識、ワンネス、大我、大いなる意識、大いなる存在に当たることになります。

魂という観念では、どうしても個の観念を脱せないのです。

昨今、様々の凶悪事件や自然災害で、人の悲しみが心を覆うことが連続しています。
また選挙も近づいてきて、今後は喜怒哀楽、心の乱れの波動が日本を覆うこととなりますが、そういうすべてのものを全体意識は包含しています。

これを書いている今は朝で、電車の中で座ってメモしているのですが、面白いものでこういうことを書いていると、いま私の右隣に若い男性が座ってきたのですが、その男性は座席が狭いためか私の右肩に左肩を押しつけてきました。強引に。

ですから私は「後から座ってきたのに強引な奴だ、こいつめ」と腹を立てているのですが、本当の私はそういった状況も観察しているのです。
そして私の意識はいま、全体意識側に近いため、直ぐに全部つながっているのであり全体の気づきと進化・成長のためにこの事象は起きていることに気づくのです。
ですから腹を立てている時間もほんの一瞬なのです。

つまり常に全体意識を「意識する」ということが大切になります。
意識するほどに気づきは速まり、腹立ちも無駄にはならないのです。

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ということで、ここでの話しを昨日のブログの後半の新幹線の車両の記事の続きとしたいと思います。

昨日のブログを読まれていない方のために状況をお話しますと、あなたと友人数人は東京駅から新大阪に向かっていて、「のぞみ」の車両の中でいま名古屋駅に停車しています。


絵:正垣有紀さん

ちょっとストーリーを加えます。

列車に乗っているあなたは実は大阪に住む友人の披露宴に出席するために東京の友人と大阪に向かう途中でした。
披露宴ではあなたと友人たちが余興を行う予定も立っていました。
しかし社内の仲間の一人が突然「私は名古屋で降りて披露宴には出ない」と言い出し荷物を担ぎ出しました。
あなたと友人たちは驚きあきれ果て、その友人を必死で止めようとしました。
いったい何が起きたというのでしょうか?

こういうことは現実には起こりにくいですね。
なぜなら招待を受け、ずっと前から予定していたことで、友人も手帳や携帯のカレンダーに書き込んでいるし、何よりも友人たちを裏切ることになります。

3次元という時間のある約束事、言葉のある約束事、カレンダーに書き込まれた約束事は五感の中でみんなが確認できて秩序立てて進みます。

しかしこれと同じような計画や約束事が霊的な世界では常に設定されていて、計画を台無しにすることも頻繁に行われているのです。
この設定と実行を共同創造(Co-creation)と言います。

ただ言葉のないコミュニケーションの世界、五感以外で為した約束事の出来事です。
そういった計画が全体意識という大いなる存在の中で進められています。

しかし私たちの多くは形而下にどっぷりと浸かり、全体とは切り離されたエゴという意識と共に五感内で生きていますので、なかなか全体とは繋がらないというのが実態なのです。
全体が計画している形而上の流れがあってもそれが分からないのです。

自分の生き方が全体の中の流れと違っていたら、それはとても疎外感を受けたり、意見が対立したり、自分の思い通りには現実は進みません。
その思いが不純だからです。
不純とは全体の流れというエゴを共有しない流れに乗っていない状態です。

だから意識は常に全体意識という、思考のないところにフォーカスを合わせなければなりません。
そのように意識するのです。ややこしいですが、意識するのは思考なのです。
今の人類は意識して考えないと全体意識と繋がらないからです。

思考の中で集中すると意識と意識、思考と思考の間にスペースが生まれるのです。
思考の止まった瞬間、そこに真理が飛び込んできます。



意識することは思考の中に種を蒔くことです。
仕込みです。仕込み(努力)なくして悟りは得られません。

昨日も書きましたが真理は時間の中になく、思考は時間の中にあります。
考えている自分は幻想であり、考えていない無思考の自分が実在である本当の自分、全体意識です。
思考は全体意識と繋がるための呼び水です。

実際に全体意識と繋がったときは無思考の状態です。

この無思考からの真理は皆さんはほぼ全員受け取っているはずです。
だから誰でも一度は悟っています。
あなたは悟った人です。瞑想をしなくたって悟りは可能です。

ただ年に一回しか悟りの瞬間をもてない人もいれば、毎日一瞬でも悟りの日を持っている人もいます。
それが日に一回であったり1秒であったり初めはしますが、意識することによって回数を増やし秒を伸ばすことができます。
真理のある空間は時間がないのですが、思考と思考のスペースは3次元から見ると時間なのです。

ユートピアが進むほどにこの無思考の悟りの時間が思考の時間よりはるかに多くなっていきます。

長時間の何も考えない瞑想などしなくても、一日を振り返って自分の思考が溜めてしまった一日の雑念をボーッと流す時間を持つことが大切です。

意識的に全体意識を意識して、全体意識と繋がる時間を増やせば、その中の流れに乗ることができ、共同創造は秩序を保ち速度を速めるのです。

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4 コメント

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真の自分へ...。 (t.t)
2012-12-12 02:39:04
全体意識に繋がる時間、出来ますればより多く持ちたもの..とは理想なのですが、ぼ-っとしています時間を心地良い、と心から感じられますにはもう少し...の様です。

しかし以然に比ぶれますれば電車の中や、暇をもて遊びます際に、周囲に時間を委ねますよりも自分の中へス-ッと入っていきます作業が心地良くなってきたなぁ~、と思いつつはありますが....。

しかし全然まだまだの様でして、仕事中なども「よくもまぁ..」とあきれます程の、女子も真っ青の妄想の世界に入っています自分に疲れてしまっています時もありますが....。
(現実の世界に戻りますのも、早くなりつつあります)

自分の中にこそ神様(真実)はある、とのおもいは何にも変えがたき強いものですね。
今後もより注意をはらいまして、心を見詰めます事に意識を向けて参りたく思っています。

有難う御座いました。


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意識する (とびら)
2012-12-12 06:24:51
t.t.さん
お早うございます。

意識するということが本当に大切です。
思考が本当の自分とつなげることを妨げていますが、地球人の進化レベルでは良き思考がなさすぎます。
悪しき思考に繋がらないようにしなければなりませんが、その辺の表現の仕方がなんとも難しいものです。

有難うございました。
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Unknown (t.t)
2012-12-13 01:54:08
より温かい、高い思考性でいます事を学ばさせて頂いていますが、自分の想いとは裏腹に良からぬ思考に嵌まっては、「よくもまぁ、こんな汚い心のある低劣な私だこと....。」と思えます自分が顔を出します。そして劣等感へと....。

やはり何といいましても、明るく.素直に.あたたかく、の心持ちでより長い時間いられれば、自然とより高い思考性へとなりますのでしょうが...。

その為にも自分の中へ中へと入り、落ち着いて心を見つめていく作業が大切...でしょうか。
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劣等感 (とびら)
2012-12-13 08:49:25
おはようございます、t.tさん。

>「よくもまぁ、こんな汚い心のある低劣な私だこと....。」

自分を卑下することはエゴ意識です。
反省も大方は小我の意識でいる場合がほとんどです。

反省しても反省してもまた元の自分に戻って、またダメな自分と向かい合うのは反省がエゴ意識をエネルギーとして自分の理想を求めているからです。

反省するな、と言う訳ではありませんが、反省元の意識というものがとても大切なのです。
自分を変えるには劣等感という自我意識ではなくて、大我の全体意識から全体像を観なければなりません。

自分を変えたいというエゴ意識のではなくて、単に自分がどうあるべきか、何が出来るかを自分を離れたところから臨んで観なければならないのです。

基本的には「これでいいのだ」という客観性が必要となります。

t.tさんのコメントにお返事していて自分でも勉強になりました。
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