昨日は10.000字を超えたために分割でのUPで、今日から本文です。
私たちを導いてくれるのは宇宙の意思で、それは共時性などの日々の出来事の中に現れます。
この意思の流れを正しく読み取ることが重要です。
初めは小さな小さな意思の解読でいいのです。
★こだわりからの離陸(47) 1997年「宇宙の理」1月号
(動物達からの贈り物)
最近、一ヶ月の間に動物達から届けられた私へのメッセージです。
●贈り物1
鳥取県への出張予定を繰り上げ日曜日に米子に入り、大山に登って来ました。頂上横の尾根道でヘビに出会いました。そのまま歩く勇気がなかった私は、ヘビを追い払ってから尾根道を進みました。
次の日に鳥取市での仕事を終え島根県の松江市に入り、市の中心にある公園でまたヘビに出会いました。
これは本当に稀なことが続きました。と言うのは、私は高校時代に山岳部に所属していて、毎月のように山に登っていたのですが、昔の記憶を辿ってみても、山に限らず、道でヘビに出会ったという憶えがないからです(忘れているだけかもしれないが)。
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★学び1
人のエネルギーが強まると、共時性が高まり、気づきのための現実も創り易くなります。
これも私の中の恐怖心(自分への執着心)を見せるために、連日、ヘビが私の前に姿を現してくれたのです。ヘビは恐怖心を象徴しています。また、私の中にある、自分と姿形を異にする生命(ヘビ)を嫌うというエネルギーもつくって見せてくれました。
これらのエネルギーを持ったままでは、私は新しい地球へは移行できないし、私の役割も果たしにくいので、早く自分の持つ古いエネルギーに気づき、それを認めてあげ、光の下に統一する(自分を愛する)ようにという、神様から動物を経由してのメッセージであります。
【余談1
松江市の仕事では宿を出雲市に取り、出雲大社に寄って来ました。
そしてこの山陰への出張が決まって直ぐに、三重県の鳥羽市から仕事が入って来ました。山陰から帰った後、予定通り鳥羽市へと向かいました。鳥羽市の隣は伊勢市です。伊勢神宮や月読宮にも寄って来ました。
出雲から伊勢に繋がった後、折角だから帰り道に名古屋に寄ろうと作った仕事が、私の思い違いで全然違う方向に仕事を作ってしまい、橿原神宮に繋がってしまいました。・・・・】
●贈り物 2
三重県の出張の後、山口・広島と出張が続きまして、広島では広島市近郊の宮島に宿をとりました。
宮島の人気のない所で子鹿と出会い、私は持っていたエサを与えようとしたのに、その子鹿は私を警戒して、私の手からエサを取ろうとしません。エサを2メートル先に投げても、半身になって恐る恐るエサに近づいて来て食べる始末です(宮島の鹿は大変に人に慣れているので、こういう鹿に出会うことは本当に珍しいのです)。
そばに別の鹿が二匹やって来たのでエサを与えました。
二匹の鹿は私の手からエサを取り私にまとわりつきます。その様子を見ても先の子鹿は私を警戒し続けます。私は『二匹の鹿は私を受け入れているのにお前はどうして私を信じないのだ』『欲しいのなら欲しいと、我慢しないで自分をハッキリ表現すればいいのに』と思いました。
でも同時に、子鹿は私の反映のような気もしました。
●贈り物 3
次の日の明け方、散歩をしていたら突然、白い犬が私の前に飛び出して来て、私の足元で激しく吠え始めました。
すると今度は、どこからか黒い犬が白い犬の加勢に現れ、二匹で私を威嚇し始めました。犬にとってよそ者の私は、二匹の犬に囲まれて執拗に威嚇され続けました。すると犬の飼い主らしい茶屋のお婆さんが出て来て犬を呼ぶのですが、犬はそれを無視して私に向かって吠え続けます。やっと白と黒の犬から解放された私は、最後の方はいい加減に頭に来てしまいまして、お婆さんに文句を言っていました。
★学び 2
人を自分の土地に近づけようとしないエネルギー、人を排他するエネルギー、先の子鹿の場合であれば警戒して自分を表現できないエネルギー、これらは私の持っているエネルギーでもあります。また、白と黒の犬は私の中の陰陽のバランスを象徴しています。
動物達はいろいろなことを私たちに教えてくれています。自分の陣地を守ろうとするエネルギーは、よそ者を警戒し、嫌い、別けるエネルギーと繋がっています。このエネルギーは人間誰でも持っていますが、これは犬に限らず凡ゆる動物達が吸収してくれていると分かります。
動物というのは、他の動物や人を攻撃しようという思いは元来、持っていないようなのです。私にはうまく説明できないのですが、本能と言っても良いのかも知れませんが、彼らには、人間のエネルギーを吸収して、無意識にそう振る舞ってしまうような仕組みが作られていて、彼らの生活の中でそれを犠牲的に消化してくれたり、人間に人間のエネルギーを見せる役割があるとも言えるのです。
彼ら同士で戦うときも、彼らが人間を襲うときも、自然とそういう行動をしてしまう、という仕組みの中に入ることに、彼らの魂は同意しているようなのです。
ヘビもクモも猛獣も、本当は私たちの仲間なのです。動物は皆、既に神様と繋がっていて、地球浄化、人類救済のための一役を担い、それを正しく演じてくれているのです。
だから人が一定の動物と縁を持って拘わったり、或る行動を見せられているということは、そこ(行動)に自分とのエネルギーの共通性があるということであり、彼らの生態や態度から自分を学ぶことが、彼らの犠牲的行動に対する恩返しでもあるのです。
こういう事というのは自分でその現象に気づかないとピンと来ないものです。私も、鹿や犬に「ありがとう」と言い、お婆さんに「ごめんなさい」という想いが肺腑の中から湧いて来たのは、出張帰りの新幹線の中でした。
つづく
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私の場合は毎日せっせと我が家に尋ねに来てくれます猫さんが、とにかく食べ物に目がなく、(野良猫ですのである程度は当然なのでしょうが、1日1回はごはんはあげています)お腹が空いています時等は周りが見えなくなってご飯に夢中になり興奮しています状態を見ますと、私の食へのこだわり...についての反省を促されていますのがよ~くわかります。
感謝あるのみです。
有難う御座います。
何でもそうなのですが、意識するということをしていないとこれも気づきませんね。
特に上から目線でいては気づきは起きませんね。
関連したことをまた本文に書いてみます。
有難うございました。