真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

イエスのカルマ

2006年04月06日 21時35分17秒 | カルマのこと


●磔になったイエスのカルマ、そして・・・

 「イエスは私たちのカルマを背負って犠牲になった(つまり私たちのカルマの肩代わりをしてくれた)」とはよく聞く言葉ですが、あながち間違いではないと思われます。

 一人ひとりが自立していくという意味からは、自分の責任において自分の撒いた種は自分で刈り取るというのが大原則です。
 カルマとは、罪を犯した人が同じような罪を犯さないように心を洗い、魂を磨いていけるようにと考えて作られたシステムだからです。
 カルマは学びのためにあり、私たちは犯した過ちからカルマの琴線に触れ、それが自分に返ってくることで事の重要性に気づきます。
 あるいは、気づかなくても自分が人に対して犯した罪と同程度の不幸を体験して、(自分が人に対して犯した罪)がいかに辛いものかを知り、身に染みることで思いやりを育んでいきます。

 もう、そういう悪さは止めよう、人を悲しませるようなこと、恨みを買うような行為は止めようと、自分の悲しみ・苦しみの中から人の辛
さにも心を遣り、心の浄化に努める人が増えてきて、その社会は平和になっていきます。
 それを為さない限り、どんなに素晴らしい政治家が出現しても、そしてどんなに素晴らしい政治システムを構築しても、ユートピアは
実現しません。
 すべては進化の為に、思いやりの愛を育み、調和を実現する為に存在しています。

 素晴らしい政治システム構築が愛と調和を育むわけではありません(
下で少し所感)。
 
 カルマも同じで、カルマそれ自体が平和を作るのではなく、カルマから私たちが愛を学び取り、愛の心を一人ひとりが学ぶことで平和
は実現します。

 私たちのように「私」の観念が狭い現代人は、不幸と思われる出来事の多くは自分の撒いた種によるカルマが元で発生しています。
 しかしイエスのような愛の人は自分の観念がすこぶる大きく、人のカルマも請け負うようなことがあるのではないかと思われます。
 別にイエスが無実の人を磔にしてカルマをわざわざ作らなくても、磔という現象を自ら抱え込むことができたのだと思います。
 イエスは本来カルマがなかったと思いますし、それ故カルマを背負い込む資質もなかったのです(次回詳しく解説予定)。

 イエスの死から人々が自分のカルマの償還に匹敵する進化を遂げれば良い訳ですから。
 「オルレアンの少女ジャンヌ・ダルク)」も、嘗て無実の人を火あぶりにしなくたって、火あぶりの刑を実現させることが出来たのだと思
います。
 これは三重苦を克服した奇蹟の人---このブログでも度々取り上げているヘレンケラーの場合なども同じだと思います。

 人の鼓膜を破り、人の目を突き、人の悪口を散々言ってきた前世を持っていなくとも、そういう人生を導き出すことができるのだと私は考えています。
 そしてベートーベンの場合も・・・
 人の役割というのはいろいろとあるのです。

 魂が成長するほどにユートピアでの平和な生活が約束される一方、本人の希望に応じて、その転生における役割も高まり、魂が成長するほどに使命も厳しきものとなって行きます。


「政治システム」の話のついでに民主党の党首選挙に関連してひとつ所感

 いま、民主党がメール問題から前原代表が辞し、菅氏か小沢氏かということで次の代表の党内選挙を行いますが、選挙ではなくて話し合いでという意見もあったようです。
 これを渡辺さんがテレビに出演して言ったのを聞くと談合ではなくて公正に選挙をしなければいけない」とのことでした。
 話し合いを談合呼ばわり(現代では談合というとゼネコンの談合のように話し合いというよりも秘密裏の裏取引という悪行というイメージがあり、それに置き換えようという意図がある)していますが、 しかし本来、話し合いは「話せば分る・通じる」ということでコミュニケーションを肯定的に捉えたものです。それとは逆に、選挙とは、はじめから意思が通じないということを前提にしたものです。

 選挙は公正で、話し合いは公正ではない、というのもおかしな話です。
 ただ単に、選挙は数字の結果ということですので、単に足し算が出来れば誰にでも理解できる、という意味での公正でしかありません。

 日本人は昔から選挙などしませんでした。そんな習慣を持つ必要などありませんでした。それでもまとまることのできる民族でした。村の長を決めたりするときにも何となく皆の考えが歩み寄ってきたのでした。
 この延長線上に本来の、終局の、選挙のないユートピアの民主主義があるのです。

 なぜならば、このブログで口を酸っぱくして言っているように「愛は自他一体」です。
 話し合いは、霊的な自他一体を3次元秩序の中でも歩み寄って達成しようという知恵なのですが、選挙は自他の分
離を前提としている妥協の政治形態です。
 このように地球の雛形である神の国、日本がもっていた古くからの神に近い生き方が次々に否定されていっています。

 政治システムも愛に基づき、愛を目標としたものでなければいけません。
 すべては愛から出発して愛へと到達するのです。
 こういう単純明快なことすら、今の社会には理解不能なのです。

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