ちょっと派手で女性っぽいテンプレートに変身してます。
私のブログには合わないかなぁ?
しばし我慢してくださいませ。わりとピンクが好きでして・・・(^_^;)
さて、前回の続きです。
前回のイエスたちの話で、「おや?」と思う人もいるかもしれませんので解説をひとつ。
人類初めての殺人について考えてみます。
昔々、カルマは何も無いところから罪が犯されることで発生しました。
旧約聖書によりますと、人類初めての殺人は「アダムとイヴ」の子のカインが弟のアベルを殺害したことでした。
アダムとイヴはリンゴを食べ罪を犯したかもしけませんが、別に人を傷つけたわけではありません。 しかしアダムとイヴの子供が自分の兄弟を傷つけました。
他人ではなく親から分かれた兄弟というところが、なかなか意味深です。
兄弟の間の神への供え物のことで両者間に分裂が起きたのです。
自分の供え物が神に受け入れられなかった兄のカインは、弟アベルを憎み、彼を殺害しました。
このことからは、カインが弟のアベルを殺害したのが人類初めてのカルマの発生と考えられるかも知れません。
でも、アダムとイヴから人類の歴史が始まったとしたなら、当然アベルにはカルマがありませんでしたので、アベルはそういった悲劇を受ける道理がないと考えるほうが自然でしょう。
カルマの元の多くは恨みで、そしてカルマは恨みの念の反映として生産され、すべての悲劇はカルマが元で発生されていると考えると・・・ です。
しかし基本的にはアベルが地球以前に生まれた星のカルマを継続していたとも考えられます。
またカルマがなくても人には悲劇はやって来ることも容易に考えられます。
被害を受けて恨みを持つ人は、陰陽の法則からも同時に人にも恨みを与えているものであり、悲劇は巡って襲うように進化の反映システムは仕組まれていたりするものです。また小さな恨みの蓄積が恨みの念の塊として形成されたりして、カルマを吸引する可能性があるということです。
この地球という星の人はカルマの助けなくして進化を達成することは出来ない進化レベルなので、罪を犯していようがいまいが、恨みの念を心の深層に持つ以上、カルマを生み出すことはどうしても必要となっているからです。
カインとアベルに関しては、一見して兄が弟を恨み犯した行為であり、加害者が兄であって弟が被害者であるとしか見えないかも知れませんが、進化の法則下の現実の作られ方はそんな単純なものではないと思れます。
カルマのメカニズムからその裏を観れば、兄弟の魂は協力し合っているということができるのです。
ここは、注意深く理解してください。
「だから犯罪もゆるされる」
などと短絡的に考えないで下さい。
誰かが弟のアベルに被害を与えてくれないと、アベルの深層にある恨みの元となっている意識の念が表面に出てこないということなのです。
そもそもアベルにそういった恨みの念がなければ、基本的にはそういった被害に遭う必要もないのですが、心にあるもので人がどうしても進化過程で消して行かねばならないものは、表面に出す必要があるのです。このことは「進化の基本法則」なのです。
例えば、日常的なことで腹の立つことをよく人から言われたり、されたりする人は、平均的に気が短い可能性があります。その人が持っている怒りのエネルギーがエネルギーの誇張の場として同様のエネルギーを引き付けるのです。
これは「類は類(とも)を呼ぶ」の一種と言えるかも知れません。
カルマは、カルマの助けを借りて進化を必要としている人に引き寄せられ、作られています。
ここに、
被害者と加害者の協力体制、人知を超えた魂たちの共同創造が執り行われているのです。
そして前回例に出したイエスをはじめとした偉人たちの場合にも (いま述べていることとはまた別になりますが)、これも自分の撒いた種を刈っているわけではない特例、ということができると思われます。
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