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カルマに付いての知識を得る知ることは必要でしょうか?
基本的には不必要でしょう。(笑)
そんなこと知らなくても立派に心を洗いながら進化・成長することは可能でしょう。
それよりもカルマの知識は間違って得た場合の弊害を考えると知らないほうが良い場合が多いでしょう。
それにしてはちょっと話が入り組んできてしまったと、反省しています。
別にカルマの知識を得る為にこのように綴っているのではありませんが、カルマについて突っ込んでみたのは、カルマに付いて「撒いた種は自分で刈らねばならない」という知識だけだと、単に、
「自分が悪いことをすると自分に返ってきますよ」
「だから不幸にならないためには悪いことは止めましょう」
という、小学生レベルの訴えにしか過ぎないからです。
それでは「戦争は悲惨だから止めましょう」 という理解と何ら変わりないのです。
戦争の原因を自分の中に見ようとしない為に、自分の心を是正せず、いつまでたっても戦争はなくならないのと同じになってしまいます。
*つまり、
いまの自分が変わらなくても悪いことさえしなければカルマは出来ず、自分は不幸にならない、という理解で終わってしまうわけです。
しかしこれがとんでもない間違いで、自分の心を正すためにカルマは生産させているので、その出現を塞ぐことは不可能なのです。
自分の心を洗わないで、カルマの出現を拒否すると、自分の心の成長も拒否したのと等しいのです。
カルマと対面しないためには、先ずカルマと充分に対面してカルマに質されて、カルマを生んでしまう現在の自分の心を正すしかないのです。
実は戦争も同じで、戦争は一種のカルマなのです。戦争も人類の心を正さない限りこの世から永遠になくなることはないのです。
戦争は領土拡大などの自国の利益を最優先するエゴなどの他国を受け入れない心が元で発生します。
もう当たり前のことですが、これらは自他一体の愛からは程遠く、このエゴの継続が人の恨みを買うのです。
はじめからこういう進化の原理が分っていれば良いのですが、それが分らないので、先ず不幸や戦争を経験するということから学びは始ります。
不幸の中で、なぜ自分は不幸なのか?を考え、
はじめはそれを人の所為、社会の所為にして、
社会秩序だけに目をやり、政治システムなどを正そうと考えます。
いまの地球はまだその時期を乗り越えることが出来ません。
というか、到頭乗り越えられませんでした。
そして不幸は拡大し、際限なく広がり、カルマも巨大化してしまいました。
そしてカルマに耐え切れなくなった古い地球がスクラップされる足音がいま、聞こえています。
地球人類全体の進化は自らこのカルマの知識を得て、自らの変貌で最後のカルマの到来を修正することが出来ませんでした。
しかしその中でも、マスとしての人類ではなく、個としての私たちが新しい地球創造の要因として、カルマのない世界に移住することは可能となります。
新しい地球。それは人と人との分離のない地球です。
まったく現在とは次元を異にした夢のような世界です。
そこは自他一体が成就された愛と調和の世界です。
すべてを受け入れられる、許しの心を持った人の集う社会です。
偶然や被害者という意識のない世界です。
よって人を恨むという念も生じず、
よってカルマの存在もありません。
実は結果としては、
カルマのない社会こそユートピアと言うことが出来るのです。
ユートピアとは自分と他人とを別けない自他一体の心が作り出している社会です。
自分我、自分我という「我(が)」のいたって希薄な真心の通う社会です。
物事に偶然は無く、自分が関わっている不幸現象はすべて自分の心が元で作り出されているという創造の原理を理解した社会です。
それを理解していると自分の不幸を人の所為にはしません。
ですから人を恨むということもないのです。
カルマの多くは恨みが元で発生しているので、人を恨まないユートピアでは当然カルマも発生しないのです。
カルマが必要な星、カルマに進化をサポートされる社会とは、
そういったユートピアでは当たり前の「気づき」の起き難い社会ということが出来ます。
たとえまた気づいていても、心がまだまだ洗われていないために、感情が先に出て感情に負けてしまい進化の捗らない私のような人間のいる星。
そして愛の育まれ方がまだ一歩達成されていないために、自分と他人が一体であるという基本が心の中で成り立たない人のいる星。
自分と他人を別けるという意識が出やすく、それをなかなか払拭できない人のいる星です。
私が地球に生きているのもそれがひとつの理由となっています。
でも、だからと言って私をバカにすることは良いことではありません。
(ここではまだ書きませんが) 人の魂の霊格はそんなことでは決まらないからです。
またある使命の下、わざわざカルマを背負い込んで地球に降りている人もいるのです。
(地球にはカルマがないと生まれ出ることが出来ない)
一方、カルマのないユートピアではもっと前向きな進化を実現することが出来ます。
でも、カルマが進化を促進させているのならユートピアでもカルマは必要と考えられてもおかしくあれませんね。
しかしユートピアとは、不幸や悲しみを積極的に経験することでマイナス面を学び、涙して、愛することの大切さに学ぶのではありません。
人のふれあい、助け合いから直接愛を感じて、思いやりを感じて、感謝の心が湧き、愛の素晴らしさを感じ、さらにそれを育むことのできる社会です。
もちろん犯罪が無いので警察など無いのですが、小さな罪の生じることがあっても、それを是正する心の秩序と社会秩序も体現している社会です。
(但し実際に、ユートピアではカルマが必要ではないと言っても、それを背負い込むことで大きな成長を遂げることができます。つまり、不幸な星のお役に立ちたいと、人のカルマを借りてユートピアでない社会の貢献を兼ね、そんな社会に生まれ出ることが行われていると考えられます。イエスをはじめ、先の賢人の場合などはどはそれに該当るのかも知れません。またいまこのブログを見てるあなただって???・・・ かもね)。
ユートピアは、落ちこぼれなど作らない(作る必要も無い)社会で、みんなが平等に幸福感を感じられる社会です。
そういう社会に生きられるほどに魂が研磨されて、心が洗われた人が集う社会でです。
(〝洗心〟という言葉があるように心は洗うもの)
(そして魂は磨くもの)
( この違い、とてもとても重要)
(「心と魂」についてはそのうち時期を見て書いてみるつもりです)
思うところがあったら Clicね。。。
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