真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

人は闇を見ることはできない

2005年05月06日 06時01分05秒 | 新しい秩序へ
 蛇がイヴを騙して禁断の実であるリンゴを食べさせ、イヴがアダムにそのリンゴを勧めアダムがそれを食べたとき、神様は2人を諭しました。しかし既に闇に包まれたアダムは神様に向かって、それをイヴの所為にし、同じく闇に包まれたイヴはそれを蛇の所為にしました。人類はそれ以後、永遠の苦しみを背負って生きなければならなくなりました。この物語は人類の不幸として描かれています。しかし現実は違います。二人の選択は正しかったのです。何故ならば・・・

 何故ならば、人類は進化の道を選んだからです。
 私たちは原初、神様と一緒になって考えました。私たちの進化の道を。私たちの愛の道を。

 私たちは愛を知るために、その対極にある恐怖心、競争心や虚栄心、差別心という自他を分離する闇の意識を作り出したのです。そして普遍的にそれを心の中にある程度発展させてきました。
 この普遍的な分離意識という恩恵は、私たち人類の全員がもつものとして設定されました。
 私たち人間はひとり残らず、闇をもったのです。

 誰もがもつ普遍的な所有物故に、私たちはこれらの闇の意識を人間の本質と勘違いしてしまっています。
 私たちが初めからもっていた“普遍”そして“不変”の意識ではないにもかかわらず、絶対普遍(不変)の人類の意識として受け入れています。ですから現代では、競争原理などが人の営みの本質を得ていると何の疑問もなく肯定されているのです。

 恐怖心なども同様で、これらは常に私たちの意識の表面に現れているので、とても分かりやすい存在なのです。分かりやすい意識ですから扱いも簡単なのです。しかしこの意識は幻想です。人間の本質ではありません。

 このような意識を含め、影の部分というのは実在ではなく幻想なのです。
 現実に私たちの目で見ているはずの「光と影(闇)」に譬えれば、光は実在ですから見ることができます。太陽を直視すれば眩しいほどに光が目に飛び込んできます。
 しかし影は本来、幻想であり、見ることができないものなのです。それなのに私たちは「影を見ている」と誤った認識をしているのです。
 影とは光のない状態を言うのです。
 私たちは影を見ていると思っていますが、実際にはそうではなく、光のない部分を見ているに過ぎないのです。
 だから本来、人間は影に翻弄されてはいけないのです。

 そして心の問題でも同じで、
 常に光を求めることが大切なのです。

 全員がもっているこの扱いやすい幻想の意識は影であり、闇であり、人間の本質ではないのです。しかし闇といえども、全員が持っていて表面にでやすいこの意識を利用すると人は簡単に操作されるので、愛と人間理解に乏しい人ほど、この競争原理や虚栄心、恐怖心で人を操ろうとするものです。
 ですから、上から人を押さえつけて、管理したり指導したりするという人は、現実には人間理解に乏しく、結果として手抜きで次元の低い導きをしていると言えるのです。

 しかし私たち現代人は、この闇のリーダー達にコントロールされ、常に闇を求める習性に何の疑問を持たず、このゆがんだ日常を当たり前のこととして日々送り続けています。そして心がずたずたにされ、肉体が不調を訴えたとき、一部の人は光を見ても、大多数の人は闇に埋もれていきます。
 しかし今、私たちは気づかねばなりません。

 人類全員が肉体をもっているからといって、それが人の本質ではないように、たとえそれが人類の全員がもっている意識であっても、人の本質としての絶対条件とはならないことを。意識にも本質的なものと幻想として作られているものとがあるのです。

 この幻想の部分でなく、愛という実在に目を据えて人生を営もうとすると、「お前の考えは甘い」 とか、「人生は奇麗事では済まないよ」 といった言葉に邪魔されるのです。
 そこでどう動くか、それはひとつの試練であり、試験であり、審判でもあります。
 幻想としての意識とは、本質がその次元で、その生命の進化段階で必要なものとして、その星のレベルの人の為に肉体遺伝子などを通じて全員に反映されているものなのです。
 それを人間の本質と取り違えていることから様々の問題が発生するのです。幻想の意識は人間が自分で超越するためにと作られたものであり、人が人を操ろうと利用するために作られているものではないのです。全員がもっていることと生命の本質とは必ずしも一致するものではないのです。

 人の表面にはまだ充分には出ていなくても、私たちが進化するに従って思い出していくもの、イヴがリンゴを食べる前に、私たちが普遍的に原初からもっていたもの、それこそが私たちを平和へと導く、絶対普遍の人間の本質、神の本質なのです。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (じみー)
2005-05-07 02:02:45
こんばんは。今夜も来させて頂きました。

最近思うのですが、人間は誰もがダイヤモンドの原石みたいなもんだと思います。そのダイヤの原石を少しずつこの世で磨くのだと・・・いろんな人がいていろんな考え方や価値観があって

この世は楽しいもんです。この世に生まれてきてホントによかったと思うこの頃です。この世のすべての存在にありがとう!

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Unknown (知足)
2005-05-07 06:02:15
はじめまして、知足といいます。(*^_^*)



おっしゃる通りですね。



今、現われていることは、どのようなことであっても、プロセスですよね。



そして、そのことに気付くことが、「学び」の第一歩なのでしょうね。



そのようなことを、自分に言いかせたくて、私はブログ日記をはじめました。(^^;ゞ



お読みいただけると、嬉しいです。
返信する
Unknown (とびら)
2005-05-07 07:31:24
じみーさん、度々ありがとうございます。



>この世は楽しいもんです。この世に生まれてきてホントによかったと思うこの頃です。この世のすべての存在にありがとう!



ああ、なんとブラボーな人生なんでしょう!

その幸せの人生のエネルギーをたくさんの人に伝えてくださいね。このブログにもね。



知足さんはじめまして。



いま与えられている現実の問題を切り抜けてこそ、

自分と神はひとつだったのだと達観するのだと思います。

そのプロセスこそが大切ですね。

正直、私はまたまだ自分のこと(プロセス)で一杯ですね。

祈りも、その中で必然的に生まれるものだと思います。
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