真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

すべては全体の中で1

2012年10月19日 09時05分16秒 | 新しい秩序へ

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全体意識・・ という観念を日常持って、常に「もう一つ高いところから思考している自分をただ観ている自分」・・ そんな自分がいるとの感覚を常に持っていたいものです。

時間が多少掛かるかもしれませんが、必ずあなたは本当の自分に日々近づいて行くことは確実です。

私たちは物質の世界で生きています。
目という物質の視界にまず初めに物が映り飛び込んできます。
だから先ず物の世界で生きるのは仕方ありませんね。

次に物を所有する、物を獲得するにはお金や地位を所有する必要があると判り、そのためのアイデンティティを求めます。
幸せの定義も、良い家族に恵まれて、良い家に住んで、美味しいものを食べて、地位を築いてお金をたくさん持てれば幸いであると感じています。



しかし本来、すべての存在の本質の究極には所有するものという概念がありません。

私の土地、私の家、私の家族、私の車、私の自転車、私の部屋も、これらはみんな所有という意識ですが、本当の意識の大元の世界には所有という意識がないのだから、本当の私の世界にも所有は勿論、共有という意識fはなく、それは幻想なのです。

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何故ならば、私たちはの本質は既に永遠であり所有という限定意識のない唯一絶対の世界にいるからです。
所有という概念には自分のものとそうでないものという分離意識があります。

所有という意識・定義は所有していないという概念があるから生まれてきます。
不自由があるから自由という概念が生まれ、愛のない世界があるから愛という概念が生まれるのと同じです。

私たちの意識がまだ若いうちは相対の世界で学びますが、このような概念はすべて相対という分離の世界の産物です。

自分のものでないという定義があるから所有という定義が生まれますが、本当の私の世界は唯一絶対なので所有していないという概念はなく、よって所有も幻なのです。

だからいくらこれを実現しても本当の魂の満足感は得られません。

幻想を本物だと勘違いしているから混乱は起きるのです。
実在の想いが正しく生活の舞台に体現されるまで、人類の混乱は止むことがありません。

そんな現代社会は個々の自由と自由がぶつかり合った世界であり、あまりにも不自由が幅を利かせた世界です。

全体意識の世界は健康な人間の体と同じで調和しています。
だから不自由がないから自由という概念もないのと同じで、病気という幻想の実態もなく、よって健康という概念もないのです。
病気があるから健康という概念ができてしまっているのです。

もっと言えば、「私」も「私たち」もなく、名前もない、自分の時間もない、そんな星の社会のコミュニケーションが本当に存在すると観じ、分かるまで、私たちは瞬間瞬間に全体を意識して生きる必要があります。

じるのではありません、じるのです。
るのでも、るのでもありません、るのです。
るでも、るでもありません。かるのです。
もともと一つだったものがかれているから伝わってくるのです。



あるが侭の状態になったとき、伝わるのです。
理屈で断し理するのではなく、かる状態で在るとき、伝わるのです。

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