別にシリーズで続けている訳ではありませんで、単なる思い付きで想いが巡っているのですが、「引き寄せの法則」に関して3つ目の記事となりました。
過去記事:引き寄せの法則 引き寄せの法則2
今日はイエス・キリストの言葉でもっとも多く使われている言葉の一つで、またもっとも多く誤解されている言葉の一つでもあります教えについてです(マタイ7章7節から)。
「求めよ さらば与えられん」
この言葉を信じている人たちの過半数は多分、この意味を言葉からストレートに感じて、
「自分の願いを強く求め願えば、願ったことは少なからず実現する」と思っているのだと思います。
イエスがそれを保障したのだから間違いないと安心して願うかも知れませんね。
私も宇宙の法則に巡り合ったころは、心の底ではそんな美味しいことが起こるのかな、おかしいなと思いつつも、人間の思考が現実を作るので、この法則は成り立つと思っていました。
「引き寄せの法則」を主導して、人々を混乱させている人たちも、他の成功哲学を語っている人たちもきっとこの法則の実現に基づいてこの哲学を広めていることでしょう。
とは言え、「引き寄せの法則」は実際に成り立って稼働しているとも言えるので、それ自体に嘘はないのですが、
「マインドによる思考」 → 「(自他の)コントロール」 → 「エゴ」 という自我意識の実現化を願っていることが問題なのです。
あくまでもそれは人間の欲望を思考を駆使して思い描いていることであり、本当に魂が望んでいる現実を作っている訳ではないのです。
永遠が望んでいないことは永遠とはならず、闇である幻想(エゴ)が望んだことはいつかは空しく消え去るのです。
「求めよさらば与えられん」の本当の意味は、人間の思考による願いを対象としている訳ではないのです。
少し掘り下げてみましょう。
正しくは「(神を)求めなさい、そうすれば正しい信仰が与えられるでしょう」という意味なのです。
欲しいものを願ったり理想の自分を思い描いたりすれば、苦もなく願望が叶えられるなどと、イエスが教える訳はないのです。
神を求めることが信仰に結びつくのです。
それは神と一体になるということで、本当の自分を求める・・ 全体意識の一員と成ることを求めるということです。
求めることによって意識を神と繋ぐということです。
同7章の11説からはイエスはこう述べています。
【誰であれ、求める者は受けとり、捜す者は見つけ出し、(扉を)たたく者には(扉は)開かれます 】
【あなたがたも自分の子供がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう】
【また自分の子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょうか】・・・
と言いました。
つまり、
財さえあれば子が欲しいというものは何でも子に与えてしまうという親が圧倒的に多いのも現実にしても、愛ある賢き親は子供の成長の為にならないものは与えずに為になるものを与えることでしょう、と言いました。
そして人類を愛する父(神様)もまったく同じです。
人のマインドが繰り出す思考というエゴに対してはエゴの現実が、その低き次元内にて還ってくるのかも知れません。
しかしマインドを超えた神様の反応は人のエゴに対しては無反応です。
一方、その願いが純粋な意識と繋がったものであれば、「自分の子どもには良い物を与える」ということです。
もっと言うと「信仰を求める」ということは間違った定説とは逆に
「何も求めない」ということなのです。
求めるのは信仰のみです。
私の人生をあなた様(神様・宇宙の意思)に全託します、ということなのです。
正に何も求めないことは、「四句御箴言」の生き方そのものなのです。
与えられたことを感謝してうけよ
与えられぬことを感謝してうけよ
与えられたことを拒む これ欲なり
与えられぬことを欲する これ欲なり
全託と言うと依存心と捉えるかもしれませんが、そうではありません。
「私は共同創造下の私の役割に、私の立場から積極的に関わります」という宣言なのです。
全体意識(中心)が目標を掲げ
魂が目標(役割)をもち
人間はあるが侭に全体の意思の流れに身を委ねる
ということだと思いますが、最後のところは、それを旨くイメージできれば自然と「引き寄せの法則」が作動するでしょう。
実際に宇宙に身を任せる(共同創造を信ずる)ことほど勇気ある行動はないのです。
神への、宇宙への信仰がなければ、神への全託(勇気)など持ちようはずがありませんから。
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あまり頭で考えるものではありません感じはありますが、兎に角神様との波長を合わせました時を送らさせて頂きたいものですが...。(四句御箴言)
しかしその神様との波長を合わせました生活の為にはどうすべきか...また共同創造の為には...等などの事は学ばなくてはいけませんし..純粋な意識と繋がった状態で学ばせて頂きたい感じです。
いつもいつも有難う御座います。
又、「お名前の件」恐縮で御座います。
合掌
>純粋な意識と繋がった状態で学ばせて頂きたい・・
純粋意識と繋がったとき、どうすべきかと考えずとも、学ばずとも、すべての答えがでているということだと思います。
有難うございました。
神しか存在していないと実感している人には必要のないことです。
神しか存在していないと実感している人に全託の必要しないし、「誰か」は既に存在していませんね。
有難うございました。
引き寄せの法則に代表される願望実現とか、自分が望む環境を引き寄せようとすることで起きる障害は、その心の準備が出来ているのか? ということだと思います。
その前に動機を正す準備があるということではないでしょうか。
他人のことは言えませんが、何々の自分になりたいということは、既に何々でない自分を認めているということからのスタートなのです。
既に何々になっている自分を装うことは自分に嘘をつくことでもあるし、いずれにしても複雑です。