真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

ある人がCIAに誘われた昔の話

2015年05月02日 08時08分06秒 | 政治と世界情勢

最近、私のメールアドレスに良く入ってくるメールです。
何だかわからないけど興味深かったので貼っておきます。


先日、フーヴァーレポート会員の方に
アンケートを取った所、
「西先生の生き方」
に関心が高いという事が分かりました。

なので今日は、西先生の話の中でも
もっとも珍しい、かつ人間性、価値観を
表しているようなCIAにスカウトされた話を
詳しくシェアしたいと思います。

以下、西先生の著書からの引用です

***

CIA
については個人的な話がある。
時効になったと思うので、話す。

CIAに入れ」と誘われた。

シアトル、19766月、博士号取得から10日目。
私は34歳だった。

私のアパートの電話が鳴った。
相手は、CIA・サンフランシスコである。
私と会いたいという。昼食を一緒にしようと誘われた。

私も会って話を聞きたかった。

私の名前と電話番号と学位取得を知っていたCIAは、
ワシントン大学の教授に将来CIAのスパイとして
有望な留学生を探させていたのだろう。

1947
年に設立されたCentral Intelligence AgencyCIA)は、
米国の国益・国防のため世界中から情報を収集・分析し、
大統領に報告をする世界一大きなスパイ機関である。

30
年ほど前には暗殺団も存在し、敵を抹殺していた。
暗殺禁止令がホワイトハウスから出されるくらいだったので、
本当の話であろう。

2001
911日から開始されたテロリスト撲滅のために、
新しい暗殺軍団が設立された。CIAの前身は、第二次世界大戦で
大活躍した米政府の実戦スパイ機関であったOSS
Office of Strategic Service)。

OSS
のスパイたちは、日本軍を攪乱させるため
満州でも数々の爆破テロ作戦を実行した。


私がCIAの面会要請に応じたのは、
国家にとってスパイ機関は必要不可欠であり、
CIA
はアメリカが最強国であるために重要な役割を果たしている
と信じていたので、CIAに強い興味を持っていたからだ。

また、マッカーサーの「日本占領」について博士論文を書くため、
公開が始まったばかりの米国機密文書を国立公文書館の
暗い地下室で読んでいた。「大統領の目だけに」と注のついた
OSS
の最高極秘の報告書も数多く読んでいた。

たとえば、OSS
「東條英機の自宅に石を投げている人たちがおります」
と、戦争が終わりに近づいていたことを予告していた。

OSS
の工作員たちが東京からさえも、
戦時日本について明細な(今の言葉で「リアルタイム」で)
情報を大統領に伝えていたことは、
戦後の平和教育で洗脳され、日本は「東洋のスイスならん」と
夢見ていた私にとって、衝撃であった。

もちろん、日本帝国の極秘はアメリカに筒抜け。

平成日本には、CIAのようなスパイ機関もないし、
「スパイ罪」もない。憲法9条の御法度で「軍隊」が存在しないので、
日本で「国家安全の極秘」を盗んでもアメリカのように極刑もない。

日本では、ただの窃盗罪。

日本は国際スパイたちの天国だ。

日本版CIAが必要なのだた、日本国民が米国追従を
「平和的」と錯覚し、スパイ情報機関なぞ必要ないと思っている。

日本は無知のまま、強欲な諸外国に手玉に取られ、
カネと威信をむしり取られ世界中で笑いものにされているのだ。

日本もCIAに負けない人材を養成すべきである。

日本は経済・技術大国であり、守らなければならないモノが沢山ある。
北朝鮮のスパイに日本人を拉致されたら、その人たちを速やかに
奪回できるだけの組織を日本国は持っていなければならない。

米国民が拉致されたら、巨大な航空母艦に護られた
勇敢な海兵隊が出動して人質奪回を行う。

ちなみに、CIAの年間予算は、公開された額が7兆円。
隠し予算が、この額の2倍あると思うのが常識だ。

CIA
の話上手なパームさん(仮名)との昼食は、3時間以上続いた。

彼の出身校は「プリンストン大学だ」と教えてくれた。
長い会話のなかで、強く印象に残っている事柄がある。

彼が「東京は安全で、ライフルの弾も飛んでこないし、
 とても楽しい街だ。私の仕事は人と会って、話を聞いて、
 情報を集めることなんだ。仏教によれば、
 人間は108の煩悩を持っているというが、
 ボクの勘定では、もっとあると思う」と言った。

「人の欲望や煩悩をくすぐれば、
 パームさんの言うとおりに動くのですね」

「ボクの経験では、ほとんどの人は原始的な欲望1・2・3で堕ちる。
 第一は、お金。第二は、女、セックス、愛人、情婦、男色。
 第三は、名声、名誉、勲章、プレステージ。
 これらを組み合わせると、皆さん喜んで私たちに協力する」

「日本にCIAの協力者は大勢おりますか」

「かなりいる。東京は世界中からスパイが集まるところだ。
 事実、日本はスパイだらけ。居心地もいいし、日本の警察も公安庁も
 私たちを監視していないので、のびのびと動けるんだ。
 エジプトのカイロでいがみ合っていたソ連のスパイに、
 六本木でバッタリ出会い、二人で大笑いしたよ」

「大使館や領事館に、盗みに入られるのですか」

「本当に貴重な情報は、中に居る人が『これは重要機密です』と
 持ち出してきたモノだ」

「東京にある諸外国の大使館の職員に極秘を盗ませるのには、
 人の好みや弱みを掴み、永い月日を費やさねばならないのでしょう」

10年、20年、30年かけて、内部に『モグラ』を育てるのだ。
 アメリカも、ソ連のために動き回っていた『モグラ』にFBICIA
 国家機密が長期にわたり盗まれた。アメリカの友達イスラエルでさえ、
 アメリカの極秘を盗んだんだ。スパイ活動をしない国が賢くない、
 と思うよ」

「日本では、どんな人が『モグラ』ですか」

「それは言えない」

「私が今『CIAに入ります』と言うと、教えてくれるのでしょう」

「ウーン、教える」

「企業の大物や国会議員や著名なジャーナリストも
 アメリカのモグラですか」

「ウーン、居ないこともない」

「国会議員で、何人いるのですか」

「ウーン、not less than ten10人以上だ)」

私の表情が険しくなったのか、パームさんが
「驚くほどの数ではない。よその国の議会なぞ
 半数の議員が私たちの協力者だ」
と私を慰める。

「自民党、社会党、共産党の議員も、
 モグラになってりうのですか」

「私たちはモグラのイデオロギーに興味がない。
 お金に、国境やイデオロギーの壁はない。
 カネのためなら何でもする人が多いよ」

「産業スパイも養成されているのですか」
私が話題を替えた。

「アメリカと日本が技術で世界独占を競っている時、
 産業スパイは国家の戦略として当然の政策だ」

「日本の産業スパイは、アメリカでたびたびお縄をちょうだい
 していますが、アメリカの産業スパイは日本で捕まりません」

パームさんが綺麗に並んだ白い歯を見せ、声を出さずに大きく笑った。

「アメリカの産業スパイが日本で捕まらないのは、
 内部の日本人が機密を盗んで持ち出しているからだ。
 日本人がアメリカで逮捕されるのは、素人の自分たちで盗むからだ。
 日本人は基礎ができていない」

理想論、倫理観、希望的観測に縛られていない者が
自国の国益のためには手段を選ばないという現実を見せつけられ、
私は反論することもままならず圧倒された。

本能と理性た戦った時、本能が勝つ。

「ところでドクター西は何に弱い」

「私は長い間、奨学金で貧しい学生生活をしていましたので、
 お金が欲しい」

パームさんは胸の内ポケットから
一枚のリストを取り出し、テーブルに広げ

「連邦政府の給料表だ。ドクター西は博士号を持っていて、
 34歳なのでこのあたりだ」

と真剣な顔を作って私の年棒額を指した。
パームさんのハンサムな顔に一瞬私の弱みを捕らえたかのような
喜びが走ったが、「カネが欲しい」と言ったのは本当かと
私の顔を見つめている

「ドクター西、女は好きか」

「大好きです」

「東京の一等地に、すばらしいオフィスを構え、
 美しい秘書を二人ほど座らせて、
 羽振りのいいビジネスマンになってはどうか。
 もちろん、運転手兼ボディーガード付きだ。
 ドクター西、何になりたい」

「大学教授になりたいと思っていますが」

「なぜそれを早く言わないのだ。すぐなれる。電話一本だ。
 日本人は教育が好きで、教授は社会的地位が高いから、
 その方がドクター西が動きやすいかもしれないな」

「大学教授にもモグラがいるのですか」

パームさんは当たり前だろうという顔で答えない。
CIA
が「原始的な3大欲望」と呼んでいる
「カネ」「女」「地位」がパームさんの口から
すらすらと出てきた。

私は侮辱されたと腹が立っているどころか、
彼のなめらかさに感心し、私もこれらの欲望で
自分の歩みを決めてきたのかと自問しながら
聞き入っていた。

「ドクター西は、カネ、女、名誉のエサでは動かないのでは・・・」

「全部大好きです。他に何かありますか」

「ある」

パームさんは笑みを浮かべ、私を睨んでいる。

「西のような男には『CIAで人生最高の冒険ができる』と言う。
 西は自分の才能、能力、野心を試すことのできる冒険の場を
 絶えず求めており、その冒険のためならカネも女も地位も捨てる男。
 西が今まで一番興奮し、生き甲斐を見つけたと思っていたのは、
 己を賭けた冒険をしていたときだ。学問の世界に入ったのも、
 無限の冒険を求めていたからだ」

「冒険 Adventure」を連発され、私は魔術にかかったかのように
コクリコクリと相づちを打っていた。パームさんは
「西の説得は終わった」という笑顔をしていた。

互いを見つめ、これ以上は説得の必要がないと解った。
私は新しい世界が目の前に広がっていくのを感じ、CIAのスパイとして
アジア・太平洋の舞台で大冒険するぞ、と決心し始めた。

パームさんがブリーフ・ケースから、
3インチのほどの厚さである書類のようなモノを取り出し、

「これは願書。提出して欲しい」

パラパラとめくってみた。私の性格、好き嫌い、
西一族の歴史、私の政治及び倫理観念について
解剖をされているような徹底した調査である。

「ドクター西は日本国籍を捨てて、米国籍を取って欲しい。
 手続きは私たちがする。CIAの中に入る人は、
 米国籍でなければならないのだ」

「国籍なぞ替えると、母が泣きますよ」
と逃げたら、パームさんは
「母には黙っていればいいではないか」

と言った。この一言で、私は口説きの催眠術から目が覚めた。
母親に隠さねばならない職につくのか。「スパイ」という職業に対して、
私はなんと甘い考えをしていたのか。

私が米国市民になるためには、星条旗と米国憲法と国家安全の維持に
「忠誠」を誓わねばならない。この忠誠は抽象的な儀式ではない。
「日本」か「アメリカ」のどちらかを選べの瀬戸際に
追いつめられた者でなければ分からない苦渋のジレンマである。

日本で生活をしていて、
「日本に忠誠を誓う」とか「日本のために」
とかの選択はしなくてもよい。

戦後日本ではそのような切羽詰まった機会もない。
平成日本で「忠誠・愛国心」という発想さえもない。
そんな言葉は死後に近く、口に出す人も居ない。
口に出せば「悪い右翼」または「戦争を始める」との
レッテルを貼られ、日本社会で村八分の憂き目を見る。

在米の友人たち(日本人)は、退職後もここアメリカに
永住したいと希望し、国籍を「米国」に替えた。
彼らはビジネスマンや大学教授である。

私の場合は目的が違う。

日本を敵に回す可能性があるスパイ活動のために
国籍を替えるという極限の選択肢である。

パームさんの一言で私は
「自分は日本人」
を自覚させられた。

日本で日本人の父と母の間に生まれ、
日本語で育ち、日本文化の恩恵を受け成長した私は、
日本人を辞めて「アメリカ人」になるという発想もできなかった。

誕生した時から、私の精神文化はすでに芯まで
「日本」で染まっており、またそれを誇りとして
私は偉大な異国アメリカで勉強かつ生活をしていた。

34
歳になって、大冒険をさせてくれるかもしれないCIA
「アメリカ人になれ」と言っても、母国を捨てられなかった。

「日本の国籍」を捨てることは、
自分の存在を否定し、自分の思い出までも
拒絶し抹殺することだと思った。

日本人としての誇りを自分の中核として生きてきた私は、
「日本」をなくして何になるのだろう。日本人としての誇りを捨てた後、
根無し草のように放浪をするのだろうか。

私が日本を捨て得るのなら、
「アメリカ」をも簡単に裏切れる。

信念もなく、信じ切れるモノを持たない男は
「カネ・女・地位」が欲しいために国を売り、人を売る。

CIA
はそんな男を雇うべきではない。

パームさんにそう話した。
彼は優しい目にうっすらと涙を浮かべ、

CIAはお前のような男が一番欲しいのだ」

とつぶやいた。



「日本はスパイだらけ」と言ったパームさんの言葉が
永く脳裏に残っていた。戦後60年間、憲法9条と国連神社の日陰で
「平和」のためにお祈りをしながら、在日米将兵4万人に
毎年5000億円を支払っている。

現実から遊離した平和願望を大切な国策としてきた日本国民は、
強欲の牙をむき出しにしている国々がすぐ近くに存在することさえも
認識していないかのような生活をしている。

全霊で信じていた「永久平和」の神話が崩れていくのを知りつつも、
それを目撃しなければいけない激痛に耐えきれず、懸命に無関心を
装っているのだろうか。

現実からの逃避で、日本はどこへ逃げゆくのだろう

***引用おわり***

西先生がCIAにスカウトされてから40年。
その当時ですら、国会議員、大学教授、ジャーナリストの中に
スパイがたくさんいたと言います。

今、現在はどうなっているんでしょうか?

CIA
に限らず、北朝鮮や中国などのスパイが、
どれだけ日本社会に根をおろしてるんでしょうか?

もしかしたらTVや新聞に出てくる著名な人も
日本ではなく別の国の国益のために動いたり、
情報を流したり、、、なんて事をしてるのかもしれません。
(実際それっぽい人はたくさんいますよね)

そういった現実を直視することこそが、
今のわれわれがまずやるべき事なのかもしれません。


 

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