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無人駅

2021年03月26日 | 焼き芋みたいなショートエッセイ

焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ  (44)

「無人駅

母が生まれ育った実家は、低くなだらかな山の麓にあった。
実家は小さな畜産農家だったが、母方の伯父家族が後を継ぎ暮らしていた。
そこには僕と同じ歳のいとこの兄弟がいたので、小学生の頃は夏休みになると
泊まりがけでよく遊びに行った。
                    


深川駅からローカル線に乗り15分ほどで小さな無人駅に着く。

降りると駅のホームからすぐ先に、田んぼに囲まれた伯父の家が見えた。
駅を囲む低い山の中腹には5軒ほどの家があり、朝など、太陽光が
山の中腹をゆっくり移動するように照らしてゆくと、家々の屋根が緑の中で
銀色に眩しく輝いた。暮らすにはちょうど良い規模の里山の村だった。

その無人駅には小さな待合室と隣接して大きな納屋があった。

納屋には干し草が天井高く積まれていて作業用のロープが吊るされていた。
いつも従兄弟たちとそのロープを使いターザンの真似をして、干し草の山に
ダイビングして遊んだものだ。夏休みの間は、朝のラジオ体操もこの駅裏が
会場だった。村には全部で7,8人の子供がいたと思うが、皆、山の方から
下りて来て、体操が終わると村のおばさんが皆のカードにハンコを押してくれた。
懐かしい。

伯父の家の脇には、こじんまりとした牛舎があって10頭ほどの牛が飼われていた。
夏休みの間は、牛の世話をするのが僕と従兄弟たちの仕事だった。
牛に顔をベロベロ舐められながら草を食べさせたり、牛舎の床の掃除をしたり、
乳を絞ったりした。絞った牛乳はすぐに出荷用のミルク缶に詰められ、伯父が町の
農協へ出荷した。余った生乳は叔母が鍋で温めて昼の食卓に並んだ。絞りたての

生乳は「これが本物の牛乳だぞ」と言わんばかりに濃くて、温めると表面に湯葉の
ような厚い膜が出来る。叔母が「栄養満点だよぉ」と言ってスプーンですくってくれた。

                           

ある晩のこと、急に周りが騒がしくなった。一頭の牛の出産が始まったのだ。
その夜、牛舎のランプは一晩中点きっぱなしで、子牛が産まれたのは明け方近くだっ
た。ぐっすり寝ていた僕も従兄弟に起こされて、産まれたばかりの子牛がヨロヨロしながら
立ち上がる瞬間を傍で見ることが出来た。ようやく立ち上がり、そのまま踏ん張っている

子牛に、皆で「よーし、よーし」と声を掛けたのを覚えている。

そうだ、家のすぐ脇に幅の狭い川が流れていたんだ。
そこは川遊びにはちょうど良く、暑い日には皆で泳いだり潜ったりして遊んだ。
そして、その川にはもうひとつ、大事な役目があったぞ。
時々夜中にオシッコがしたくなり起きることがあったが、伯父の家のトイレは
二つの奥座敷の先にあり、夜中にそこまで行くのがたまらなく怖くて、
僕はいつも玄関から庭に出て、そこから川に向かって「失礼しまーす」とカエルの
大合唱に包まれながら、気持ち良く放尿していたのだった。文句あっか?ないない。

それと、今も印象的に思い出す光景がある。

伯父の家の前には裏山へ続く小さな坂道があったのだが、
坂の途中に郵便受け用の木箱が立てられていた。
毎日昼頃になると、バイクに乗った郵便配達員が裏山の道路から下りてきて、
木箱のポストに郵便物を入れると、またそのまま坂道を戻って行った。
郵便物は油紙の帯で括られた一日遅れの新聞と、
たまに刊行物だったり手紙だった。そんな一日遅れの新聞が届く暮らしも、
今思えば、なんだかいいものだなと思ったりするが、「あの郵便配達員は
どこから来てどこへ行くのだろう」と、漠然と思いながら見ていたものだ。
               

なんだかつらつらと思い出すまま書いてみたが、
朝、数匹の野犬が一列になって田んぼのあぜ道を歩いて行くのを
窓から恐る恐る眺めていたり、庭先で放し飼いにしていた数匹のニワトリが
やたらと凶暴でしょっちゅう追いかけて来たり、村の有線放送が珍しくて耳を傾けたり、
伯父の家での思い出は多々あるが、やはり一番強く記憶に残るのは、
ある日、いとこの兄弟と3人で、隣町まで行ってみようと線路を歩き続けた日のことだ。              


ローカルの単線だったので、めったに電車が来ることはなかったが、
遊びに出た僕らの帰りが遅いのを心配した伯父が、あちこちバイクで探し回ったらしい。
線路上をとぼとぼ歩いている僕らを見つけるなり大声で怒鳴り、
僕らを次々とバイクの後ろに乗せた。よく3人が乗れたものだと思う。

バイクの後部座席で3人ぎゅっとおしくら・まんじゅう状態で家に着き、
バイクを降りる際、伯父は無言で僕らの頭を順番にパシっと叩いた。
頭を強く叩かれたあの一発に、言わんとする事のすべてが込められているのを
僕らは理解した。その後は、伯父は何も言わなかった。

              

後年、伯父家族は帯広へ移り住み、本格的な牧場経営を始めた。

それからしばらくして、里山のローカル線は廃止された。
僕らの遊び場だったあの無人駅も閉鎖され、現在は鉄道マニアが訪れる聖地となっている。
          







        星空Cafe、それじゃまた。
          皆さん、お元気で!

  

        





 ♪「無人駅~深名線」 s.y  ( 詞・曲・歌:s.y   編曲:ジャック・伝ヨール
 











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