焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ⑮
『 K先生の格言 』
中学2年の時だ。
英語の筆記体を初めて習った時、もう英語はダメだと思った。
例えば、
This is my father's bag
これを筆記体で僕は、
と、こんな風に続けて書かねばならないと勘違いした。
「こんなのどこで区切って読むんだ?」と呆然としたのを覚えてる。
そんな僕をK先生は笑いながら、
「お前、そんなんじゃ読めないだろ」と言って直してくれた。
救われた。(本当の話です・笑。しっかし字ヘタだわ)
「コイツはやばいぞ」と思ったのか、そんな事があって以来、
K先生は自作の宿題プリントに毎回必ず僕の名前を登場させた。
「s.yは昨日友達と山に行った」とか「s.yは・・・」という例文だ。
学年中に同じプリントを配るので、違うクラスの連中から「まった出てたな!」と
廊下などでからかわれたりもした。
「あの先生、参るよな」と笑いながらも、
じつはこれは僕に大きな刺激をくれた。
ちょっと嬉しかったし、名前が出ている以上、間違えられない。必死に勉強した。
おかげで英語がどんどん好きになって行った。
そして月日は過ぎ、
その中学を卒業し高校3年の冬になっていた。
ある日、街のスキー場のロッジで中学卒業以来、
久しぶりにK先生とバッタリ出くわした。
K先生は開口一番に、
「お前、英検受かったってか!
この前新聞に名前載ってたぞ。やったな!」
と言って満面の笑顔で僕の肩を何度も叩いた。
高校生でその級の合格者は、市内で数名だけだったらしい。
「あ、あれ、絶対まぐれっしょ!」
そう言って照れるのが精一杯だった。
やや白髪混じりになっていたK先生、じつに嬉しそうで、
内心僕もホント嬉しかった。(先生のおかげです!)
その後、僕は大いなる勘違いのまま上京、
某大学の外国語学部なるところに進学したが、東京の学生レベルは高く、
1年のクラスはすでに英語ペラペラの連中が結構いて、
僕はといえば、外人先生の授業にはほとんどまったく、
いやはや参った的について行けず毎日途方に暮れていた。
「K先生ごめんっ!進路まちがえた!」 爆!
しかし人生、道は目の前にいくつも延びている。
予想外の道さえ待っている。前向きでいれば何とかなるものだ。
少なくとも今こうして、懐かしく愉しく書いているもの。
「悩み多き人は、もしかしたら
悩むことが好きなのかも知れないな。
本当に大変な時には、悩んでいる暇などないもんだぞ」
(恩師K先生の格言)
そうは言っても、K先生もしょっちゅう
「参ったなあ」「どうすべかなあ」と頭抱えて悩んでた。
だけど、それで良いのだと思う。
泣いたり笑ったり、喜んだり怒ったり、悩んだり立ち上がったり・・・それが人間っしょ。
世界中の誰もが、自分は何者なのかを毎日探して格闘しているのだ。
星空Cafe、それじゃまた。
皆さん、お元気で!