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焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ (21)
『 場末のバーのお使い少年 』
僕が生まれ育ったのは、北海道の中央に位置する人口3万人ほどの小さな街だったが、
駅から少し離れた飲み屋街の一角で親戚の叔母がバーを営んでいた。
当時小学生だった僕は、時々お使いを頼まれその店によく行っていた。
いわゆる場末のバーの「お使い少年」だ。
母が台所のぬか床からキュウリなどを袋に入れながら
「おばちゃんの店にこの漬物急いで持ってってあげてー」と。
その度に、家からさほど遠くなかった店まで「面倒くさいなあ」と思いながら僕は自転車を走らせた。
店には常に3,4人のホステスさんがいて、僕が行く度に何かと可愛がってくれたが、
皆、それぞれに何らかの事情を抱えている事は子供心にも何となく感じていた。
叔母のバーは何軒かの飲み屋が並ぶ路地裏のこじんまりとした店だったが、
白亜の宮殿のようなドアだけは妙に立派で洒落ていた。
そのドアを開けて頼まれた漬物などを届ける度に、
「ごくろうさま」と言いながら叔母は100円のお駄賃をくれた。
今の時代、まだ年端もいかない子供にそんな事をさせたら社会は黙っていないのだろうなぁ。
「あなた達は一体全体何を考えているのです!(そうだそうだ!)
こんな子供を酒場に平気で出入りさせるなんてどういうつもりですか!(んだんだ!)
言語道断!何という親だ。子供の教育を何と心得ておるのか!
そうヨそうヨ!子供の人権を守りなさいよ!言語道断よ!」
なーんて事になるんだろう。間違いなく。
その店の奥には、4畳半ほどの茶の間があり、コタツと小さなテレビが置いてあった。
まだ早い暇な時間にはホステスさんがお茶などを飲んでいて、
僕も時々コタツにもぐり込んで一緒にテレビなどを観たりしたが、
そこからでも店内の雰囲気や酒場の独特な匂いは漂って来た。
ある晩、酔った数人の客が暴れ始めた事があった。何か口論になったらしい。
グラスは割れテーブルなどもひっくり返り、怒号と悲鳴が店内に飛び交った。
会う度にいつもお菓子などをくれたホステスさんが裏の茶の間に飛び込んで来て、
恐くて息をひそめていた僕を見るなり、「ボク、警察を呼んで来て!」と。
僕は店の裏口から飛び出し駅前の交番まで夢中で走った。
今思えば、そんな夜に子供が交番に駆け込み、どこどこのバーで客が暴れてます!などと言って来て、
おまわりさんも「よし!どこだ!ボク案内しろや」と子供に飲み屋街を先導させたのだから、
まあ、おおらかで穏やかな時代だったのだ。
そう言えば後年、その時に僕を交番へ走らせたホステスさんが、
僕が東京の大学に合格したと聞きつけて、
「ボク、大学生になるんだってー!偉いねー、立派になったねー、頑張ったねー」
と少し涙ぐみながら、「おばちゃんが何かお祝いしてあげる」と言って、
駅前の洋服店で「一着くらい必要だから」と紺のブレザーを買ってくれた。
大学の入学式、僕は有り難くそれを着て出席した。
そのブレザーを着たのはその時一回きりだったけれど、そんなささやかな光景が
月日が経つほどに蘇ってくる。
今はもう、そのバーも無く、ホステスさん達のその後を分かるはずもないが、
僕は子供の頃、そうした夜の世界の様子を見ていたせいか、
今でも街の歓楽街に無数に灯るネオンを見ると、何だか空しい、哀しい気分になってしまう。
生活を抱え、派手な濃い目の化粧とキラキラのドレスで気丈に生き抜こうとしていた
あのホステスさん達を思い出してしまう。
「だってナ、俺の職場、男ばっかだべさ。
女と話せる機会なんてほとんど無いべさ」
「んだな。俺だってもうイイ歳だべ。寂しいんだあ。仕事が終わればフラッと来
てしまうっしょ。いやー、今日も来てるもんなあ!」
「いいじゃなあい。毎晩来てよ。イイ男は大歓迎なんだから。
ほら、飲んで飲んで!」
星空Cafe、それじゃまた。
皆さん、お元気で!
そう言う時代でしたね
むしろ今でもそういう環境が人に考える力を与える事と思います
見にくい場面を隠し現実を見せない環境こそ真実から遠ざけて本質を見失う世界になってしまったと思いますね。
あの昭和の時代、当然様々な欠点もあったと思いますが、今の様な何かと人と人を遠ざける風潮(コロナ以前から)、権利を盾に人がどんどん縛られていく流れは、どうなんだかなあ?と強く感じます。
どうなって行くんでしょう?これから。