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冬の駅から#8

2021年04月24日 | 焼き芋みたいなショートエッセイ

焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ  (47)

冬の駅から #8


今これを読んで下さっているあなたに、
ひとつお願いがあるのです。

あなたが通っていた中学校の
懐かしい校舎を思い出してみてください。

教室がつづく長い廊下を、中学生のあなたがひとりで、
それとも、誰か仲の良かった友達と喋りながら歩いているところを
想像してみてください。

どんな光景が浮かんで来ることでしょう。

僕も今、遠い記憶のパズルの中から、
かろうじて残っている一片一片を頭の中に拾い集め、
遥か遠くの、あの時、あの空間に確かに在った、学校の廊下を歩き始めたところです。

「お前、この前、歌良かったぞ」

すれ違った上級生が声を掛けてきた。
「あ、どうも」僕はぺこんと頭を下げる。

「良かったよ~聴き入っちゃった」クラスの女子達から笑顔で言われる。
「おっ、ありがと」


文化祭の後の数日は、そんな風にいきなり声を掛けられることもあって
その度に僕も笑顔を返すようになっていた。

ある時、若い先生が僕を見つけて話し掛けて来た。
「この前良かったぞ!」
「あ、どうも」
「傘がない歌い出した時はびっくりしたわ。あの歌、難しかったろ?
 先生も好きで陽水のアルバムしょっちゅう聴いてるんだわ」
「はぁ」
その時、僕はまだ中学2年だ。詞の意味などほとんど分かっていなかった。
大人になって初めてあの歌詞の意味を知ったくらいだ。

「都会では自殺する若者が増えている
 今朝来た新聞の片隅に書いていた」


静かなメロディながら、いきなり強烈な詞で始まる。

「テレビでは我が国の将来の問題を
 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
 だけども問題は今日の雨 傘がない
 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
 君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ・・」(井上陽水「傘がない」抜粋)

当時、中学生の間でも人気があった曲だが、詞の意味まで理解していた子は、
ほとんどいなかったのでは
ないだろうか。


余談になるけれど、その約10年後のこと。
あるアーティストの武道館コンサートの終了後、簡単なお疲れさん会が開かれた。
その数カ月前に、そのアーティストと同じ
音楽事務所
契約したばかりだった僕は、
どういうわけか参加させて頂く事になりマネージャーさんに
連れられて行った。
武道館内の大きめの部屋に
入ると、スタッフ達に混じりアロハシャツとサングラス姿の
背の高い男が
立っていた。井上陽水さんだった。驚いた。招待されて来ていたらしい。
僕は軽くお辞儀をしたが自己紹介などは遠慮した。

プロデューサーの音頭で「武道館最終日お疲れ様でした!」とジュースで乾杯した時、
僕の目の前には井上陽水さんが立っていて、
なんだか不思議な気が
した。
まるで誰かがいたずらでそうなるように仕組んだシナリオのようで、
感慨深いものがあった。
偶然にしては出来過ぎだろうに。

「人前で初めて歌ったのが陽水さんの曲でした!」
陽水さんの所に行き、何度もそう言おうと思ったが、結局何も話せずじまいだった。

その夜、僕は札幌のデンスケに電話した。
「今日、陽水さんに会ったわ」
「ええっ!ほんとかあ!本物に?すごいなあ!何か話した?」
「いや、話せなかった」
「あはははは!なんでさ」
「緊張してさ、固まったわ」
「あははははは!なんでよぉー」
電話の向こうで、相変わらず優しく笑うデンスケの声が響いていた。


                ー続ー












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