焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ (38)
「今夜、月にハシゴをかけて 」
いつだったか、季節外れの誰もいないキャンプ場に
一人でテント泊をしたことがある。
べつに孤独なキャンプを望んでいたわけではないのだが、
その日は10月の終わりで、おまけに平日でもあったから、
もともと利用するキャンパーが少ない時期だった。
その日の真夜中、寝袋にくるまって寝ていると、
テントのすぐ近くから何だか楽しそうな笑い声が聞こえてきて目が覚めた。
ん?今夜はこのキャンプ場、一人のはずだったよな?・・
寝ぼけた頭でそう思いながらも、テントから顔を出して外を見ると、
近くで数人の男女が焚き火を囲み談笑していた。
その中の一人の女性が僕に気づいて
「よかったらこっちへ来てコーヒーでも飲みませんか」と手招きをした。
最初は夢かと思った。だってその夜は、寝る前までは僕の他にキャンパー
は誰もいなかったし、キャンプ場の管理人も「今日はおたく一人ですよ」と
言っていたから。
けど、夢にしては何もかもがやけにリアルだった。
寝る時に枕代わりにしていた右腕のしびれ感と、冷たい風の感触や、
少し湿り気味の地面の土、相変わらず森の隙間に美しく広がる星の瞬きと、
流れゆく夜空の雲に隠れては、またぽっかりと姿を現す月。
それと何よりも、彼らが囲んでいる焚き火の煙が、
僕の鼻につーんと突いてきて煙たかった。
たぶん熟睡している間に来たんだろうと思い直して、
僕はすごすごと彼らのもとへ向かった。
「ちょうどコーヒーを煎れたところだから」
そう言って女性がカップを渡してくれると、やや弱くなって来た焚き火に薪をくべ
ていた男が、「バイク旅ですか?イイですね」と、テント脇に停めてある僕のバイ
クをみてニカッと笑った。
焚き火のぬくもりが実に気持ち良さそうに座っていた髭面の男も、
「俺もさあ、バイク、免許取っとけばよかったなあ。昔取ろうとした時あったんだ
けどね、結局クルマで満足しちゃったからなあ。でもやっぱりさ、身体に受ける風
を感じながらさ、広大な北海道なんか一度走ってみたいよなあ」と、
どこか懐かしさを覚える温和な顔を僕に向けた。
つい今しがた出会ったばかりの見知らぬ人達なのに、
焚き火を囲み談笑しているうちに、僕もすっかりくつろいで彼らに溶け込んでいた。
僕は人見知りもするけど、もともと人懐っこい性格なんだ。むはは。
それで実は、話はここからなんだけど、
それはきっと、誰にも信じてもらえないだろうと思う。
なぜなら、この先の展開があまりにも現実離れしたことだから。
けど、話そう。
もしかしたら、信じてくれる人がいるかも知れない・・
僕らは焚き火を囲み、暫く和気あいあいと過ごしたあとに、
これから皆で月に登ろうということになった。
僕らの真上で煌々と輝いているあの月へだ。
僕らは、焚き火近くの一本の樹にハシゴを掛けて、一人一人順番に登り始めた。
ハシゴの一段一段に注意深く足を掛け、暫く登り続けて下を見ると、
さっきまでのキャンプ地辺りが、キャラメルくらいの小ささになっていて、
囲んでいた焚き火も微かなオレンジ色の点になって見えた。
遠くの方には、菱形の形をした近隣の街灯りがぼんやりと浮かび、山々の頂上あた
りを雲が急速に流れて行った。空気は少しずつ薄くなり、吐く息もめっきり白くな
ったが、不思議と寒さは感じなかった。
やがて、縦に細長い日本列島の姿がはっきりと分かるようになり、左には九州、
右を向くと4年前バイクで走り抜けた東北の地が延びている。そしてその向こうに、
ヒラメのような北海道の大地が見えた。
上空から見渡すと、故郷の大地は東京からそう離れていない事に驚いた。
僕はとっさに自分の生まれ育った街を探した。
街はすぐに見つけることができた。
くねくねと蛇行するように延びる石狩川沿いに、母校の高校とグラウンドが見えた。
駅はあの辺りだろうか・・家はあそこ辺りだったな・・
中学校、小学校はその上の方で、そして、あ!デンスケ達の家があの田園辺りだ・・
無我夢中であちこち探した。この東京からこんなにも近くだったんだ。
こんなにも近くにあの街はあったんだ。
懐かしい場所や風景や想い出や何もかもが、ずっとずっと、あの日以来ずっと、
いつもこんなにも近くにあった。
探しながら、なんだか景色が滲んできた。
どうしようもないくらい涙が溢れてきた。
そして僕は息も出来ないくらいに嗚咽した。
ハシゴにしがみつきながら、ひとりで泣いていた。
僕には分かっていた。はっきりと分かっていた。
このハシゴには僕しかいないんだろ?デンスケ達だったんだろ?
最初から分かってたよ。あの頃も、いっつもそうだった。皆して誘いに来てくれ
ていた。おかげで僕はあの6年間、なんとか楽しくやれたんだ。頑張れたんだ。
なんでお前達みたいな良い奴が、もうこの世にいないんだ。おかしいだろそれ!
なあ!おい!どうなってるんだよ!お前達みたいに優しかった奴がさ、
早過ぎだろ!おい!・・・
あの夜のことは、今でも本当に起きた事だと思っている。
確かに僕らは、あの月まで行こう!と樹にハシゴを掛けて登ったんだ。
星空Cafe、それじゃまた。
皆さん、お元気で!
私は信じますよ。
トキノスケさん、何時もご訪問ありがとうございます。