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冬の駅から#4

2021年04月12日 | 焼き芋みたいなショートエッセイ
焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ  (47)


冬の駅から #4


駅長が待合室を出て行った時、駅前に一台の車が停まるのが見えた。
車から降りて来たのは友人のデンスケ達だった。デンスケ、イイっち、フジオ、コータ。
中学時代からの気心知れたいつものメンバーだ。皆でデンスケの家で徹夜し、
始発の時間に合わせて見送りに来たのだという。

「あれ!?」
「電車来そうかあ?」
「ああ、もうすぐ着くらしいわ。来てくれたのか」
「ゆうべ皆でウチに泊まってさ、来たわ」


車の免許を取ったばかりのデンスケが、兄の車を借りて運転して来たのだという。
見送りに来ることなど聞かされていなかったから面喰らった。やられたと思った。
昔からそういう奴だったんだ。

デンスケ・・僕は彼のことは一生忘れない。
彼と出会ったことで、僕は救われたんだ。

いつまで続くか分からない、あの孤独で凍てついた暗いトンネルから、
デンスケがスッと広い青空の下へ僕を引っ張り出してくれたのだと思っている。

今、これを書いていて、デンスケの娘さんのことを思う。
専門学校を卒業して、現在、北海道の病院で元気に働いているらしい。
いつかこの章を一冊のエッセイ本に収めて、娘さんに届けられたらと思う。
「君のお父さんの中学・高校時代の一片です。君のお父さんに救われた奴が
いたんですよ」と、そう言って渡してあげたい。

デンスケとの出会いは、中学2年になったばかりの春だった。

その前の冬の終わり、中学1年の3学期。

母の葬儀で一週間ほど休んで学校に戻った時、僕を見る皆の目が
「大変だったな」とか「可哀そうに、気の毒にな」とか言っているようで、
その度に「オレは大丈夫だから」と心の中で呟くのがしんどかった。
「あいつ、両親死んじゃったんだと」そんな声さえ学校中から聞こえてくる気がした。
僕はなるべく気丈に振る舞いながらも、やがて段々と無口になって行った。
周りもそんな僕の様子を察してか、以前のように気さくに話しかけてくる事は
なくなっていた。担任の先生は、廊下ですれ違ったりすると「大丈夫か?」と声を掛け
肩を叩いてくれたが、気持ちとは裏腹に「全然大丈夫です!」と笑顔で応えていた。

                         
 

そんな日々の中、学校から帰宅するといつも、玄関先の工房で祖父ちゃんが
風呂桶を作っていた。
祖父ちゃんは風呂桶や寿司桶を作る職人だった。
家は、父と母がいなくなってもそのままだし、僕の部屋もそのままだった。
「祖父ちゃん、ただいま!」
「おっ、お帰り。どうだ、大丈夫か?」
「全然、大丈夫だあ。祖母ちゃん、ただいま!」
「おかえりー」
祖母ちゃんの声を聞いてから僕は仏間に行き、父と母の仏壇に手を合わせ、
2階の自分の部屋へ駆けあがった。何も言わなかったが、いつも祖父達が
心配してくれているのが
僕には痛いほど分かっていた。有り難かった

間もなくして、学年が2年になりクラス替えになった。

馴染みのない顔も多く、相変わらず僕は、端っこの場所を好み、
(早く学校が終わればいい)と思っていた。

いつだったか、ある同級生が当時の僕のことを
「物思いに耽ってぼーっとしてるかと思うと、急に目つきが鋭くなってさ、
 恐かったわ。ヘタにちょっかい出すとヤバイと思った」と笑いながら
話していた事があるが、きっとそうだったんだろうと自分でも思う。
だからなのか、陰湿ないじめなどに遭うことは一度もなかった。
逆に、そういう奴を見たら「くだらないことしてんなよ」と真っ先に止めに行った。
恐いものなど無かった。ある意味、いつ死んでもいいやという投げやりな覚悟さえ
あった気がする。

そんなある日の放課後。中学校の玄関でぽつんと一人で靴を履いている時、
ふいに後ろから声をかけて来た奴がいた。デンスケだった。
彼は隣町に住んでいて小学校も違っていたから、ほとんど口をきいたことがなかった。

「これからアイツらがウチに遊びに来るんだけど、

 一緒に来ないかい?自転車だよね?」
そう言って僕を誘って来た。僕は少しためらったが、
デンスケの何とも呑気で温かい笑顔に惹かれ「いいよ」と返事をした。



                ー続ー



          星空Cafe、それじゃまた。
            皆さん、お元気で!

  

                




    星Cafeラジオ#4ーs.y   in  2019.11 (リクエスト・再)
   
 「祖父ちゃんの言葉」+♪弾き語りタイム Corey Hart / Can't Help Falling In Love
      








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2 コメント

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Unknown (山さま)
2021-04-12 23:42:32
ウチの親父も職人(映画の看板などを描いていた看板絵師)だったけど、日本は色々な職人の技術によって発展した国なのに、職人を冷遇してきたのも事実。
国も職人を大切にして欲しいです。
そう言えばトキさんも職人でしたね!むはは。
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山さまへ (S.Y)
2021-04-13 00:48:34
お久しぶりでした。元気でしたか!
職人だけじゃないよ。(特にバブル崩壊以降、)この国は残念ながら多くのジャンルを干上がらせて来たよ。
あ、僕はまだまだ職人などと言えたものではありませぬ。あと50年は修行じゃあー。
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