焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ (23)
『 江古田マーキーの雪男yukiotoko 』
以前、学生街で知られる「江古田」という街のライブハウスに何度か出演した事があった。
昔から弾き語りライブの老舗として名を馳せて来た店だ。
ある日、僕の出演する日ではなかったが、暇だったのでふらっと店に立ち寄った。
その日は4組のアマチュア・ミュージシャンがそれぞれ20分程の弾き語り演奏をしていたが、
最後にぼそっと出てきた男に僕は完全に魅せられてしまった。
薄汚いジャンバーに作業ズボン、髪はボサボサで日に焼けた浅黒い顔。その風貌は他の出演者
達とは明らかに違っていた。彼はステージ中央に用意されたパイプ椅子に腰を下ろすと、何か
ボソボソと小声で挨拶し歌い始めた。僕は「ああ、何か雪男みたいな奴だなあ」と思った。
その雪男は特別声が良いわけでも、曲や詞がこれといって印象的なわけでもなかったが、歌の
間奏でギターをかき鳴らしながら吹くブルースハープのソロは絶品だった。聴く者を徐々に熱く
させるブルージーな音色、荒い息づかい、メロデイライン。その演奏だけで十分に彼の熱い想い
が伝わって来た。
僕は彼の4,5曲ほどのステージに、特に曲ごとに間奏で魅せるブルースハープの演奏に魅入
り、やがてステージが終わると同時に、汗だくのその男に心の底から拍手を送った。30人程い
た客達からも大きな拍手が起こっていた。舞台上の彼は戸惑いながら何度も何度もおじぎを繰り
返した。
やがて客席のあちこちから「アンコール!」の声が起こり始めた時だった。彼の口から意外な
言葉が出た。「すみません。実は今仕事中でして、これからまだ夜間の配送が残ってるんです。
車も店の前に停めたままで。だから、あの、アンコールまでしてくれて、あの、ほんとうにあり
がとうございます。すみません。もうホントに時間がないのでここで失礼させて頂きます。今日
はありがとうございました。」
そう言うと彼は、ドタドタと慌ただしくステージを降りて行った。
客席の一部からかすかな笑い声が起こったが、それは彼への親しみを込めたものだったろう。
しばらく僕は彼の姿を目で追っていた。彼はギターを抱きかかえたまま、ライブハウスの入り口
にいた若いスタッフに丁重にまた何度も頭を下げ、慌ただしくドアを開けて出て行った。
店内の照明が点き明るくなっていたので、僕は出て行く彼のジャンパーの背中にプリントされ
ていた「○○急送」という文字に気が付いた。やはり彼は仕事の合間をこじ開けて来ていたのだ。
僕の胸の奥を、何か爽やかなものが吹き抜けた。彼のような奴が本当のミュージシャンなのか
もなと思った。心底音楽が好きで、この東京で懸命に働きながら、自分の思いをなんとか伝えよ
うとしていた。
今も時々僕は、あの日の彼の真っすぐな姿を思い出す。
あの夜、汗を掻きかきステージに現れた名も知らぬ雪男は、今でも僕の愛すべきミュージシャンだ。
星空Cafe、それじゃまた。
皆さん、お元気で!
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