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江古田マーキーの雪男

2021年02月01日 | 焼き芋みたいなショートエッセイ

    焼き芋みたいな
    エッセイ・シリーズ  (23)

    江古田マーキーの雪男yukiotoko

以前、学生街で知られる「江古田」という街のライブハウスに何度か出演した事があった。
昔から弾き語りライブの老舗として名を馳せて来た店だ。
ある日、僕の出演する日ではなかったが、暇だったのでふらっと店に立ち寄った。

その日は4組のアマチュア・ミュージシャンがそれぞれ20分程の弾き語り演奏をしていたが、
最後にぼそっと出てきた男に僕は完全に魅せられてしまった。


薄汚いジャンバーに作業ズボン、髪はボサボサで日に焼けた浅黒い顔。その風貌は他の出演者
達とは明らかに違っていた。彼はステージ中央に用意されたパイプ椅子に腰を下ろすと、何か
ボソボソと小声で挨拶し歌い始めた。僕は「ああ、何か雪男みたいな奴だなあ」と思った。

その雪男は特別声が良いわけでも、曲や詞がこれといって印象的なわけでもなかったが、歌の

間奏でギターをかき鳴らしながら吹くブルースハープのソロは絶品だった。聴く者を徐々に熱く
させるブルージーな音色、荒い息づかい、メロデイライン。その演奏だけで十分に彼の熱い想い
が伝わって来た。
僕は彼の4,5曲ほどのステージに、特に曲ごとに間奏で魅せるブルースハープの演奏に魅入
り、やがてステージが終わると同時に、汗だくのその男に心の底から拍手を送った。30人程い
た客達からも大きな拍手が起こっていた。舞台上の彼は戸惑いながら何度も何度もおじぎを繰り
返した。

やがて客席のあちこちから「アンコール!」の声が起こり始めた時だった。彼の口から意外な
言葉が出た。「すみません。実は今仕事中でして、これからまだ夜間の配送が残ってるんです。
車も店の前に停めたままで。だから、あの、アンコールまでしてくれて、あの、ほんとうにあり
がとうございます。すみません。もうホントに時間がないのでここで失礼させて頂きます。今日
はありがとうございました。」
そう言うと彼は、ドタドタと慌ただしくステージを降りて行った。
客席の一部からかすかな笑い声が起こったが、それは彼への親しみを込めたものだったろう。
しばらく僕は彼の姿を目で追っていた。彼はギターを抱きかかえたまま、ライブハウスの入り口
にいた若いスタッフに丁重にまた何度も頭を下げ、慌ただしくドアを開けて出て行った。

店内の照明が点き明るくなっていたので、僕は出て行く彼のジャンパーの背中にプリントされ
ていた「○○急送」という文字に気が付いた。やはり彼は仕事の合間をこじ開けて来ていたのだ。
僕の胸の奥を、何か爽やかなものが吹き抜けた。彼のような奴が本当のミュージシャンなのか
もなと思った。心底音楽が好きで、この東京で懸命に働きながら、自分の思いをなんとか伝えよ
うとしていた。

今も時々僕は、あの日の彼の真っすぐな姿を思い出す。

あの夜、汗を掻きかきステージに
現れた名も知らぬ雪男は、今でも僕の愛すべきミュージシャンだ。





               星空Cafe、それじゃまた。
                  皆さん、お元気で!




            









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