今日というか、昨日の夜も暑くて、ねつけないくらいでした。本当に暑い毎日です。
そんな中、みなさん、「オゴオゴ」の準備をするのですから、大変です。
人々も時間を追うごとに盛り上がって行くのですが、コスチュームもそれぞれ毎年新しくしていて、ここ「サンバハン」は
紺のTシャツにシンプルな文字で「サンバハン」と書いてあります。後ろには、バリの暦で言うと「サカ暦1932」とかかれていて、今年は、1932年なのです。
夕方にみんなコスチュームを着て集まり、いよいよ出発。小学生以下の子供たちと、それから大人に別れてそれぞれの
「オゴオゴ」を担ぎあって行進するのです。後ろには、ガムラン隊がつづきガンガン音を出して盛り上げていきます。
今回はちょっと会場のフインキが違っていて、なんと、ライトアップあり、司会者もいて、エンターテーメントな感じです。
でも、なんとなく、司会者はうるさいし、一つ一つ見せる時間が長すぎて後半はあきてしまって・・・・
ずっと、立ちっぱなしなので、足も痛くなり・・・でも、あいかわらずたくさんの地元の人たちと、たくさんの観光客でにぎわっています。さいごに、ウブドゥの一番えらいチョコルドさんが、ながいながい挨拶をし、その後花火が打ち上げられました。
まあ、そんなに大きなものとは、思っていませんでしたが、なんと、日本で打ち上げられるような大きなもので、みんな危険なことだと思わないので、仕掛けの3メートルくらいしか離れていないところで見ていて、燃えカスが肩におちてきて・・・
日本では考えられないことですが、目の前できれいな花火を見ることができました。この花火の代金はすべて先ほどのチョコルドさんが、出したようです。。。
その碑は、遅くまで、爆竹が鳴り、家に居る子達も日本の子供たちと同じく戻ってきた「オゴオゴ」を燃やしながら夜な夜なすごすのです。帰ってきたのが夜中の1時くらい。。。
そして、ニュピを迎えます。
・・・・つづく
そんな中、みなさん、「オゴオゴ」の準備をするのですから、大変です。
人々も時間を追うごとに盛り上がって行くのですが、コスチュームもそれぞれ毎年新しくしていて、ここ「サンバハン」は
紺のTシャツにシンプルな文字で「サンバハン」と書いてあります。後ろには、バリの暦で言うと「サカ暦1932」とかかれていて、今年は、1932年なのです。
夕方にみんなコスチュームを着て集まり、いよいよ出発。小学生以下の子供たちと、それから大人に別れてそれぞれの
「オゴオゴ」を担ぎあって行進するのです。後ろには、ガムラン隊がつづきガンガン音を出して盛り上げていきます。
今回はちょっと会場のフインキが違っていて、なんと、ライトアップあり、司会者もいて、エンターテーメントな感じです。
でも、なんとなく、司会者はうるさいし、一つ一つ見せる時間が長すぎて後半はあきてしまって・・・・
ずっと、立ちっぱなしなので、足も痛くなり・・・でも、あいかわらずたくさんの地元の人たちと、たくさんの観光客でにぎわっています。さいごに、ウブドゥの一番えらいチョコルドさんが、ながいながい挨拶をし、その後花火が打ち上げられました。
まあ、そんなに大きなものとは、思っていませんでしたが、なんと、日本で打ち上げられるような大きなもので、みんな危険なことだと思わないので、仕掛けの3メートルくらいしか離れていないところで見ていて、燃えカスが肩におちてきて・・・
日本では考えられないことですが、目の前できれいな花火を見ることができました。この花火の代金はすべて先ほどのチョコルドさんが、出したようです。。。
その碑は、遅くまで、爆竹が鳴り、家に居る子達も日本の子供たちと同じく戻ってきた「オゴオゴ」を燃やしながら夜な夜なすごすのです。帰ってきたのが夜中の1時くらい。。。
そして、ニュピを迎えます。
・・・・つづく