徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑰・私の零戦①~

2019-10-01 05:00:00 | 日記
私の着任した当時、サイパン島には風土病のデング熱、アメーバ赤痢、およびウィルス性の流行性肝炎が多発していた。
これが戦力にもかなり影響があったように思われた。
また、外相患者としては、ペリリュー島、メレヨン島上空ノ空中戦での搭乗員の銃弾創および熱傷の患者、その他、航空機整備中の事故による負傷の患者が主だった。
米軍の上陸後は、銃砲弾、爆弾の破片による戦死および負傷者が大部分であった。

文中、破傷風による戦傷者たちの悲惨な状態を書いたが、戦後、機会があってハワイを訪れた際、知人の外科医と太平洋戦争について話し合ったとき、彼の話によると、米国海軍医学雑誌の報告では、太平洋戦争中における米軍の戦傷者死の中で、破傷風による死亡はわずか6名であったと報告されたことを聞き、只々驚嘆するのみであった。
米軍では、その頃すでに破傷風トキソイドと、ペニシリンおよび乾燥血清を多量に使用し、その予防と治療に多大なる威力を発揮したことを知った。

また、サイパン島内における戦闘状況と玉砕に至る経過は、今まで詳細なる記述はなかったが、昭和53年7月より、東京新聞、中日新聞夕刊に『烈日サイパン、玉砕の記録』として百数回にわたって、25000名以上の陸軍部隊を中心とした、苛烈なる戦闘と悲壮なる玉砕の様子が詳細に掲載された。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

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