姪 山岸美喜 1968年東京生まれ 祖父は徳川慶喜家3代目当主徳川慶光(私の母井手久美子の兄)
母は慶光の長女安喜子(私の従姉妹)
従兄弟、安喜子の弟(後の徳川慶喜家4代目当主となった慶朝)が2017年9月、67歳の若さで亡くなった。
慶朝が体調を崩した頃から良く茨城の自宅へ名古屋から行き介護など面倒をみていた。(美喜は山岸家に嫁いでおり自宅は名古屋であった)
慶朝が入院した時も月に何度も見舞いと自宅の掃除などをよくしていた。
私は子供の頃毎日の様に慶朝の家に行きよく遊んだ。同じ中学・高校に通学していたが、その頃はほとんど話をすることなく過ごした。
今にして顧みると慶朝は徳川の名前の重さをとても感じており、4代目当主として日々葛藤していた様に思えてならない。
身内のものより説教されること、また、”あれをしなさい、これをしなさい”と、指図されることをとても嫌っていた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
母は慶光の長女安喜子(私の従姉妹)
従兄弟、安喜子の弟(後の徳川慶喜家4代目当主となった慶朝)が2017年9月、67歳の若さで亡くなった。
慶朝が体調を崩した頃から良く茨城の自宅へ名古屋から行き介護など面倒をみていた。(美喜は山岸家に嫁いでおり自宅は名古屋であった)
慶朝が入院した時も月に何度も見舞いと自宅の掃除などをよくしていた。
私は子供の頃毎日の様に慶朝の家に行きよく遊んだ。同じ中学・高校に通学していたが、その頃はほとんど話をすることなく過ごした。
今にして顧みると慶朝は徳川の名前の重さをとても感じており、4代目当主として日々葛藤していた様に思えてならない。
身内のものより説教されること、また、”あれをしなさい、これをしなさい”と、指図されることをとても嫌っていた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)